余市町茂入山…冗談とチームワークと執念

北海道は余市町余市川河口に「茂入山」があるのをご存知だろうか?
f:id:tekkenoyaji:20200501154908j:plain…(グーグルアースより)
丁度、北海道の中世期を探るべく、メンバーで出土した武具の論文を掘り下げていた頃。
秋田で山城を登り初めた筆者の冗談から、それは始まる…
「俺ならこの入舟って所に城柵築くな(笑)」
川向かいには「大川遺跡」より星兜や14世紀らの陶器破片等、南には失われし「天内山遺跡」…
ならばと、全員ネットで検索しまくり、「茂入山城閣」なる標柱の存在を探し当てるが詳細不明…
Twitterで情報提供を呼び掛けた一人…そこでかつてここには「モイレ城閣」なるリゾート温泉施設が建設されていた情報を得る。
(今は営業しておらず、更地となっている模様)
だが、見張りの都合、交通条件、水が出る等城柵条件を備えたここに何も築かず、何故に周囲だけ遺跡を?いずれ探索を…と、議論はペンディングに。
が、執念に燃える一人は、極寒の余市方面フィールドワーク敢行、その筋から情報を得る事に成功した。
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どう見ても野面積の石垣である。

その時の取材情報は…
①17世紀頃築かれた石垣と推定される。
②発掘した事実が無く詳細不明。
以上である。
事前のネット検索でも、「茂入山城跡」として、余市町史跡指定はされていた。
その理由はこれら石垣の存在であろう。
メンバーの執念には脱帽である。

さて、北海道史において、中世はほぼ空白である。
勿論、アイヌ文化を持った方々が…
①どの様にしてその文化を手に入れたか?
②その前の擦文文化期が何時終焉したか?
それらは全く解明されていない。
各論文でも「謎」と記載される事が散見される。
が、その「謎」を解き明かすヒントたる、正にその時代の石垣は、何故か未発掘なのである。そこに我々は疑議を持つ。
余市周辺は北海道中世代のホットスポットだと考えて、以後も追跡を行っていくつもりである。

一応、追記しておく。
余市町茂入山は、文化財リスト上、個人所有となっている。勝手に入り込む等は慎むべき場所とも言える。
仮にこの謎に挑むには、所定のステップを踏まねばならない事は記載しておく。