ゴールドラッシュとキリシタン…無視出来るハズが無い人口インパクト

アイヌ新法に違和感を感じた方々に問いたい。なら、昔の北海道の人口がどの位で、その内アイヌ文化を持った人々がどの位の人数だったのか論じた事はありますか?と。
一応、北海道人口は、天領化の過程で寛永~文化年間(1800年)位では、ざっと5~6万人と松前藩から幕府に報告されている。
内、松前藩領6割、それ以外4割位。
ただ、この4割全てがアイヌ文化を持った人々か?は「解らない」。例えば、詳細調べようと「加賀屋文書」をのぞいてみても、何軒,男何名女何名…こんな記載だから。

まぁそれは置いておき…ゴールデンロードの観点で見た場合、江戸期に考慮すべき観点が発生する…「キリシタン」である。
何故なら、日本各地の江戸初期の鉱山開発は、西洋技術をバテレンから学び展開されたと考えられているから。
秋田に於いても、院内銀山には多数のキリシタンが混ざり組織化していた事は秋田県史に記載がある。さて、北海道は?
概ね千軒岳と言うだろうが、高木一雄氏の「東北のキリシタン殉教地をゆく」には、松前旧記には大沢村金山が松前金山の始也と記載があり、知内川流域で有ろうことは想像でき、それは松前藩収入の1割に達すると。
実際、千軒岳と大沢ではキリシタンの処刑が行われているので、これらの金山鉱夫の中にキリシタンが居たのは、誰も異論は無いだろう。では、どのくらい?それは「解らない」。
だが、こんな記事を見ると、驚くだろう。
秋田県史には、当時の人口移動の顕著だったのは鉱山だとして北海道を例にあげている。
北海道まで布教に行った伝説的バテレンの1人、カルバリオ神父の報告では、北海道金山開発に集まった人口は、1619年で5万人超、1620年も3万人を超えると予想し、その中に多数のキリシタンが居ると。

さて、江戸期の人口と合わせてみよう。
1800年位で5~6万人の総人口…
1600年位も同程度だったとして、たった2年で総人口以上の人口流入があり、鉱山技術はキリシタンが持っていた…
こんな人口インパクトがあるのに、文化に影響及ぼさないって事があり得るのか?
我々の答えは「否」
シャクシャインの乱の発端がコタン単位の砂金利権争い説まであり、シャクシャインを補佐した金堀四人は「火炙り刑」
通常、火炙りって放火犯への処罰(例外はあり)…キリシタンへの処刑でも厳しいものは火炙り。
何せ、骸が残らぬのは屈辱でもあるとか…

が、北海道史でこの人口インパクトを語る方は殆ど見た事は無い。
筆者の記憶では、室蘭市史?に、アイヌ文化を持った方で且つ潜伏キリシタンで、明治期布教に尽力された方の話があったかと思うが…

人口インパクトの影響が無いハズ無し。
何せ、関ヶ原大坂の陣、大名国替えらで流出した西国のキリシタン士族も混じる…彼らには、もはや帰るべき国は無いのです。


参考文献

秋田県史」 第二巻 秋田県編集 加賀谷書店
昭和52年4月30日

「東北のキリシタン殉教地をゆく」 高木一雄 聖母の騎士社 2006年9月1日2刷