「そんな文献知りませんね~」…関係史は未知の領域

筆者は、博物館や図書館で何度か質問した事がある。「北海道と東北の関係を調べたいが、論文や著作を教えて欲しい」と。答えはほぼ「そんな文献知りませんね~、それぞれ個別での研究はされてますが、物流やその量等は聞いた事が無い…」である。
人が動き、物流が動いている、ここまでは皆解ったことなのだが、それ以上が無い。
考えてみれば、北海道の港さえ正確には特定されておらず、古代~中世にどの様に物を動かしたのか?「解らない」が実状、つまり経済の視点から歴史を紐解く作業すらされてはいない。
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我々はこんな風に、どんなルートならば合理的に行き来出来たか議論したりする。
あまり知られていないのは、津軽海峡には、日本海対馬海流が流れ込み、船が東(太平洋)側へ流され、動力無しでは最短距離の行き来が難しい事すら理解されてないだろう論評等もある事。ランドパワーですら、山有らば登るか迂回するかが選択の別れ道…シーパワーでそれを考慮出来ないとは…一言で言えば「信じられねー」。
津軽を東西に渡り制すると、日高の西側は制圧可能。
何故なら、比較的行き来し易い日本海北上し余市や石狩を抑え、下北半島から様似や厚真付近を抑えれば、もはや陸路で石狩~様似当たり迄行き来可能だから。
この陸路は、「厚真 キラキラ土器」で検索頂ければ、縄文の人々が既にルートを開いている事が理解可能かと。

つまり、北海道における鉄器の伝播は、遺跡年代だけでなく、物流の視点からも補強可能となる。でも調べて無いから、港の特定も遺跡間の関係も鉄器を作った物との関係も「解らない」で終わる。

多視点で検討する必要性は、こんな事からも言えるかと考えてます。

一つ謎が解けたら、ロマンが一つ消える…
そんな事は無い。我々も一つ仮説にたどり着く度に、細かい新たな謎が2~3は発生するから。