「円筒土器文化圏」…んな事言ったら、太古から親戚 ※写真追加

「円筒土器文化圏」と言うよりは、「北海道・北東北の縄文遺跡群」と言った方が解り易いか…
縄文人縄文人と言っても、津軽海峡を挟みながらも…
①深鉢の土器が円筒型(普通は尖る)
②独特の土偶や漆の文化を持つ
③後期で巨大な建物やストーンサークル、集落に至る etc.etc.
共通の文化を持ち、行き来していたって言う事実。
石狩~秋田市,宮古辺りの範囲は縄文まで遡れば、思い切り仲間なのである。
この段階で津軽海峡は「デカい川」でしかない。ここでもう、行き来だなんだではなく、同じ文化持ってるんですよ。
現在、ユネスコ遺産登録を進めている。
実際、秋田県南辺りの資料館展示見ると、円筒土器と尖頭土器が混じってる感じだが、筆者がなにも知らずフィールドワーク開始した時点では、ほぼ円筒土器だったので気にも止めなかった。

この地域の遺跡出土品は、年代や種類がバランス良く纏まっていて、かなり永続的な生活が続けられた事が考えられるとか。
戦乱跡も無く、作物の栽培さえやっていた痕跡。

ただ、数多の縄文遺跡の中で、何故ここの遺跡だけ?
たまたま、伊勢堂垈遺跡をちょっと見に行った時、公演があった様で、同志社大学の水ノ江博士の資料を頂いてきたのでそこから…
選ばれた選定基準として…
①完全性を示す史跡指定範囲
ちゃんと発掘で端まで漏れなく史跡指定
②真実性を示す総括報告書の刊行
その発掘結果が正しく報告されているか
③地域に根付いた取組み
地域に愛され、保存に協力して貰える
これらが、揃わないと難しいそうで。
実際、範囲内外で声を上げた遺跡あれど、最終的に地元の協力が不足とか、報告書が不備だとか色々あっあ模様。
結局、地味に研究者側と地元が連携して努力した所が残った事になる。

さて、地元の熱意の例、秋田である…
伊勢堂垈遺跡は、複数の40m級のストーンサークルが特徴の遺跡。
これ、大館能代空港へのアクセス道路建設時に発見された。
遺跡を残すか?経済効率を優先するか?選択に迫られた訳だ。
当時の知事の判断は…
途中まで建設した部分の工事中止、道路を再設計、遺跡を守る英断をした。
故に、伊勢堂垈遺跡の脇には、今でも建設途中の橋脚らが残されている。
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水ノ江博士はこの橋脚を、遺跡を守る為に残された「最新の遺跡」として、県の文化財指定を提案していた。我々も賛成である。
つか、平成生まれの遺跡って、良いよね…

さて…
北海道と東北の付き合いは、江戸だ鎌倉だ平安等なんてレベルに始まった訳ではない。
遥か太古の縄文と言う先史時代から同一文化を持つと言う、謂わば親戚の様な関係。

昨日今日始まった様な文化に、ゴタゴタ言われる筋合いは無い。