「片倉小十郎と北海道の関係」あとがき…家康のタヌキぶりに脱帽

海に出た事が無い伊達正宗…
が、片倉小十郎は、海の先の北海道を知っていたと。
皆様ご存知の通り、岩出山経由で仙台に出た伊達正宗は、支倉使節団やら石巻開港やら怪しげ…
そこは将軍になった徳川家康、何気に布石打ったのか?

家系から東北史追うと、江戸初期は飛んでもない。
藤原北家(伊達)を…
蠣崎(松前)…甲斐源氏の別家
大浦(津軽)…南部の別家
南部…甲斐源氏の別家
斯波(最上他)…足利氏(源義家より分派)の別家
佐竹…常陸源氏(源義光の嫡男直系)
つまり、清和源氏外様大名で包囲、何気に動きを牽制する様配置している。

更に、それら源氏勢が仲良く出来ぬ様に、藩領界争いの地雷を敷設…その解決は数十年後と言う怪しさ。
ついでに、腹心酒井氏を外の鶴岡に置いて、じっと監視させる念入りさ…

相前後して諜略の為、伊達正宗が松前慶広に近づくのも、何となく解るわ…と言う感じ。

何処まで狙ったかは、もはや「解らない」。
でも、現代からその時代を覗いてみると…
徳川家康は、やはり飛んでもないタヌキだったのかも知れません。