似て?決定的に否なる「マタギ」と「アイヌ」…紐解くヒントにはなる!

よく、グループ内でも検討になった。
江戸初期として、松前の古書には「金堀」と「鷹侍」が登場する。
こうなると、これらが何者なのか?検討になる。
「金堀」…これはゴールドラッシュの背景より、山師や鉱夫だろうと想像可能。
では「鷹侍」は?
やはり、猟師のイメージが重なるので、その起源から考えても「マタギ」では?こんな話話バンバン出る。

さてでは、「マタギ」とは?
筆者は秋田なので、阿仁の「マタギ資料館」や鳥海マタギについて書かれた物は知っていた。
マタギ
清和天皇の頃、万事万三郎と言う人物が、赤木明神と日光権現の争いに参戦、日光権現の依頼で赤木明神の両目に矢を射掛けて撃退。
それの褒美として「山立御免」(日本全国何処の山に入り狩をして良し)の勅許を授かった事が起源とされる。
故に、「マタギ」のシカリ(親方)は猟に出る時に、「山立由来之巻」と言う伝書を持ち、山に入る掟がある。
この伝書は代々保管され、展示されたりしている。
猟は熊の他、カモシカや猿,ウサギ等。
熊はくまのいをメインに、骨は捻挫の湿布みたいな物と、食べるだけではなく殆ど漢方薬とされる。全く残らず使われる。
むしろ、江戸期などは薬屋のイメージがあったそうだ。

実は、江戸時代にそのマタギアイヌ両方と会い交流した事のある人物が居る。
その人物は、マタギアイヌの共通項らには全く触れておらず、別のものとして紹介している。
叉鬼と言う言葉を世に出したのも、その人物の模様。
それは「菅江真澄」…

マタギ」と「アイヌ」には、現在までの伝承が正しいならば、絶対越えられない壁がある。似て否なる文化なのだ。
これは天地程の差がある。
それは…「文字」の有無。
そう、「山立由来之巻」…マタギは文字を持つ。
アイヌには文字が無いとされる。故に直結しない。同じ山の民でも、「サンガ」なら成立するかも知れないが。

マタギ文化の伝播ルートは、その伝書からある程度研究されていたかと。
幾つかの系統を持つ。
そこで一つ、引っ掛かりがある。
俺が見聞きしている阿仁,打当マタギや鳥海マタギでは、鷹狩の伝承を見た事が無い。
ここで「鷹侍」とも直結しない。
まだまだ見た資料館は一部だが、鷹匠の伝承を見た事あるのは真室川の資料館のみ(弓,鉄砲併用)。
宮城辺りでは鷹狩習慣あり…
伊達正宗や息子らは鷹狩を好み、金ヶ崎辺りの狩場に入り浸った記録が残される。
詳しく調べたら何処の漁師の系統かか追えるのでは?と考えている。
それらコンタクトラインが紐解ければ、「鷹侍」の正体も解るかも。

もう一点…「木地師
この人々も「山立御免」の伝承を持つ。
不気味な話を。
実は、木地師に伝書を出したのも清和天皇らしい。

結びつけるのもどうかと思うが、山師衆の起源には清和天皇が絡む。
清和天皇を祖に持つ武家衆…
後に覇権を取り、唯一「征夷大将軍」を名乗れた血統を「清和源氏」と言う。
仮に清和源氏が、同一祖を持つ技術者集団を抱え、「山立御免」で日本中の山々を調べ尽くせたなら、覇権取るのは容易かも。
何せ甲斐金山衆を抱えていた甲斐源氏もその分派…
不気味な整合性なのです…