ゴールドラッシュとキリシタン-2…第一段階は「院内銀山」から

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/03/074515

先にアップした「ゴールドラッシュとキリシタン」…
我々がここに至るには、段階を置いている。
既に、2019年10月位には鉱山分布と擦文遺跡が妙に被る…から始まり、ゴールドラッシュや伴うキリシタンや大眼宗等の宗教の絡みは11月位には調べる必要を感じていた。

そこで、まず鉱山の状況を勉強に、「院内銀山異人館」へ訪問、ぶっちゃけ、鉱山と大眼宗やら宗教との関係を資料館の方に聞いてしまえ…と言う次第だった。

院内はカルデラに出来た町。
鉱山としての歴史は諸説あるが、院内銀山記によると、関ヶ原の落武者ら4名が発見し、翌年から久保田藩が採掘開始となっている。そこから運営は、藩直轄と民間請負を繰り返す。

江戸~明治期に何度も日本一の銀採掘量を獲得、正に日本を支えた銀山となる。
何せ、明治天皇の御巡幸の際に入抗されたと言う記録があり、今もその入口は御幸抗として、入口のみ見るは出来る(崩落や事故ら危険な為全ての坑道は封鎖)。

各坑道は蟻の巣状に採掘。
坑夫は30歳で還暦祝同様を行い、白ふんどしはそれ未満、赤ふんどしはそれ以上のベテランと言う。つまりそれだけ、平均寿命が短かった訳だ。「珪肺症」ら粉塵による短命。
この辺、院内銀山ではお抱え医師の門屋養安が「養安日記」を残しており、割と銀山町の生活は明らかにされている。

鉱山や坑夫を支える為に、銀山町は鍛冶屋や医師、遊郭らも含めほぼ都市機能の全てを備えて、栄えていた。
学芸員さん曰く、湯沢市の酒蔵は銀山町の消費を支える為に作られたのも多いそうで。
銀山が周囲の経済も支えていた事になる。
正に経済のダイナモ
が、同時に、文化程度が天地程違うので、近隣農民,住民らは近付かなかったそうで、周囲の村では「銀山に行けば帰ってこれない」みたいな噂があった様だ。
つまり、閉鎖された都市になる。

銀山内では、情報統制の意味合いも兼ね、「友子制度」と言う福利制度が発達。
先輩と師弟兄弟の杯を交わし、技術伝承から、転職斡旋,傷病の互助,同職移動時の一宿一飯ら互助ネットワークがあり、江戸中期には完成していたとの事。良かったら、この「友子制度」…覚えていて下さい。

さて…本題。
先に知った江戸初期の大眼宗ら、宗教の痕跡が鉱山にあるのか?学芸員さんに直撃した。

学芸員さん曰く…大眼宗は知らないが、むしろキリシタンは周知の事実だと…いきなり驚愕。
安土,桃山~江戸初期の鉱山技術は、バテレンによる南蛮渡来なので、キリシタンが相当数混ざって当然だと仰る。
藩にしても、財政支える上に、短命で銀山町は閉鎖的、わざわざ弾圧するより銀山町から出さずに体よく使った方が利益に直結する。
幕府の強い命が下る迄、東北の諸大名が見逃していたのはその為。
銀山町の中では大弾圧後も、暗黙の信仰も有った様です。
故に何故か墓所が残され、そこにはキリシタン墓地の印が刻まれた物が残されていると。年に何人か、ここに先祖の痕跡を探しに来る方は居るそうだ。

鉱山やキリシタンを研究する方や、鉱山がある地方の郷土史研究家では、周知の事実だと言う事である。

当然、北海道も千軒岳等ある。
そこには、閉鎖された鉱山都市があり、周辺の地域経済のダイナモとして機能していたと考えても、ある意味妥当な訳だ。
これは、阿仁や尾去沢ら、秋田周辺の鉱山での共通の内容。院内だけの話でも、秋田だけの話にも非ず。
何故なら、「友子制度」は、地方間を跨いで張り巡らされていたから。
院内銀山は鉱夫の出身地が記録され、ほぼ日本中から集まっていた。
更に、採掘技術指導の面でも、ここ院内と阿仁や藩を跨いだ尾去沢さえ、ネットワークは有った模様。

キリシタンネットワークと言う視点でも…
院内には「院内聖童貞会」と言う、キリシタン組織が存在し、他地域との連携が有ったと考えられている。
何せ、アンジェリス神父やカルバリオ神父、信徒の移動やらも、秋田側の「久保田聖童貞会」と共に行われた事を、日本年鑑や北方探検記や書状で示唆させている。
そして、久保田の土崎湊と予測される港から蝦夷地と行き来した事も…

それぞれ、別の視点だが、それぞれにそんなネットワークが有った事が残されているのだ。
北海道だけ、それらネットワークから外れている事など、考え難いであろう。アンジェリス神父もカルバリオ神父も、それらネットワークを使い関所を越えそれぞれ二回ずつ蝦夷地を訪れている。

と、言う訳だ。

ここにも反省は有った。
筆者は若い頃、尾去沢の観光坑道で坑道に刻まれた「✝️」を見ていた事などすっかり忘れていて、今回の話と全く繋げられなかった。
勿論、これらに伴い、阿仁と尾去沢の資料館もそれぞれ相前後してフィールドワークしている。
江戸期に置いての鉱山と言う物は、そんな側面を持つ…ここまでが第一段階である。