犬も歩けば「最上徳内」…身近にあった北海道と村山の繋がり

東北と北海道の繋がりを追ってると、いずれぶち当たる人物が居る。

最上徳内」…

だが、筆者が彼に出会ったのはたまたまである。勿論、その名らは知っていた。
が、山形にフィールドワークに出た折りに、たまたま「 最上徳内記念館」を見つけて訪れた…が正解。
何故、ここ山形は村山市に「最上徳内記念館」があるのか?
村山が彼の出身地…地元の偉人として記念している訳だ。なので、展示も彼の生い立ちがメインとなる。残念ながら、一部除き写真NG。

彼が何をやった人物か?
幕命や単独で9度も北海道に渡る。
その足取りは、樺太北方四島におよび、かのシーボルトにして「日本随一の老探検家」と言わしめた…
でも、彼を探検家のカテゴリで扱うのは、我々はどうか?と思う。
彼最大の功績は、幕府役人の一人として、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を立て、後のロシアとの交渉を有利に進める土台をつくった事だろう。レプリカが展示している。

日高山脈を切り開く新道に関与…
国後アイヌの長との親交含め深め、見聞録「蝦夷草紙」等で紹介…
厚岸に「神明宮」建てたり…
虻田に「馬鈴薯」伝えたり…

江戸でも、
関東地方の河川調査と水系地図を作成…
etc....

なんだかんだあれこれ実績がある。
それもそう。彼は元々士族ではないが、和算やら数々の学問を習得し、抜擢された方。
実力派だったのだから。

記念館では、屋外にアイヌの住居「チセ」を再現しており、内部にはイクパスィ、アットゥシ、イナらのレプリカが並ぶ。

まぁ山形の方にもっと訪れて欲しいのは、言うまでも無し…
取り上げられないせいか、山形の方でもこの偉人をよく知らぬ方は多い。

ただ、山形って、合併前の旧市町村単位の勢いで、小さな資料館らが点在する。
尾花沢の「ほたるの里郷土資料館」の様に、廃校跡を利用して、少々手作り感あり、昔の卒業生の研究結果の展示何かも。
如何に、郷土の歴史を大事にしているかが解る。
割とこんな小さな資料館好きですけどね。