中世に竈は有る?無い?…生きていた証、続報1

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/27/181439
この項の続報となる。
江戸期の北海道の家屋と言われる「チセ」だが、竈(カマド)が無い事に違和感を感じていた。囲炉裏(イロリ)はあるが、火力が足りるのか?煮炊きが囲炉裏だけで足りるのか?
矛盾を感じる訳だ。
江戸期の東北には竈はある。これは現物確認済み。
差異が生じている。
ならば、中世はどうだ?
メンバーよりそんな宿題が出ていた。

まず、中世の町屋の遺跡…
秋田県井川町の「洲崎遺跡」…
おおよそ鎌倉~室町期の港町の遺跡。
博物館等で確認するも、竈跡は展示等が無い。ここは奮起し、ここは洲崎遺跡を発掘した専門家に聞いてみる事に…

同時に、同様に室町~戦国期の檜山安東氏の拠点の一つ、「脇本城」近辺の「脇本遺跡」の調査報告書を借り予習を行った。

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1264867100935380992?s=19

ここに「カマド型遺構」と言うワードが登場する。
どうやら家屋から少々離れた屋外?に設置されている。あら?曲屋等の竈とイメージが違う…
この「カマド型遺構」、大仙市らにもあるという。これを使えば、米を炊く火力はクリアだろう。
が、何故に「竈」と言わぬのか?
疑問は膨らむ。


続けて、これはたまたまの発見。
鉱山とキリシタンの関係を見たくて訪れた大仙市協和の「大盛館」…

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1267202633845993472?s=19

なんと、ここには備え付けではなく、独立式の「竈」があった。
確かに協和での昔の家屋の間取りには幾つかタイプが有り、曲屋には「竈」とあるが町屋と思われる物には「竈」表記が無い。
だが、この独立式の「竈」が有れば、火力はクリア出来るだろう。

これら2つの予習を行った所で、埋蔵文化財センターの方に話を聞く事が出来た。


まずは、投げ掛けていた二点への回答。
①洲崎遺跡に竈は有るか?
痕跡無し。
②中世での竈の有無と「カマド状遺構」分布は?
現状、鎌倉~室町期の遺跡では、竈の痕跡は無し。
但し、「カマド状遺構」は秋田県内鹿角~大仙らあちこちに分布しているとの事。
屋外設置で、中には、柱穴と思われる遺構もあるので、屋根付きを匂わせる物もある。
つまり、竪穴住居の様な暖房機能は無し。

ここで、「竈」と「カマド型遺構」とが、使い分けられている事が解る。
違いはなんた?

実は、竪穴住居の「竈」には、竈と言い切る為の根拠となる火跡や灰、使った土器なり痕跡がある…
中には、使用を止めたと思われる竈に行う処置をした形跡まである。
例えば逆さまにした土器を重ね入れた痕跡…これを「排設儀礼」と言うそうだ。
必ず痕跡がある。

しかし、「カマド状遺構」には、殆ど出土品が伴われず、灰さえ残っていないとの事…
まるで、毎度綺麗に掃除した如くで、「竈」竈と言い切れるだけの痕跡が薄く、特定し難い。

更に…
中央アジアさながらに共同施設として使ったのか?一軒に一つなのか?
これも、中世の街並み全てを発掘する訳では無い(道路工事等による発掘が主になる為)ので、整合出来ていないとの事。
現状の民俗史の謎の一つだそうで。
この項目には、専門の研究者が殆ど居らず、未知の領域と言わざる終えないのが現状との回答。
我々はまた…知らず知らず、未知の領域へ手を出してしまっていた模様。


中世では、実際にどうやって米を炊いたか「解らない」…
考古学の研究者としては、現物が全て…今後の発掘が望まれると。

因みに、「大盛館」で見つけた「独立式竈」の存在は存じ上げなかった様なので、恐らく江戸や明治の新しい物と思うと注釈の上、写真は送付。
曰く…この手の物証あるなら、例えば火跡の残る正体不明の石遺物の解析が進む可能性はあるとの事。
考古学は物証が全て。
「解らない」物は解らないとしか言えず。が、ヒントあらばその視点で確認へ向かう事は可能なのだ。
真摯に対応して頂いた、埋蔵文化財センターにはこの場をお借りして感謝したい。
有難うございました。


まさかの展開に驚愕ではある。
我々の議論の中では…
①中世東北に「竈」が無ければ、「チセ」をアイヌの物か?奥州藤原氏の落人らの物か?特定する根拠にならない。
②確実に「竈」の実態に迫り、それら層別の根拠へ持ち込めないか?
等々意見が出ている。

だが、此処まで来て、引き下がる訳にもいかないだろう。
考えていた以上にハードルが上がってしまった感もあるが、他の宿題と並行して、少しずつ謎に迫ろうと考えている。
勿論、「物証」付きでである。

現状、学者達の傾向として幾つ論文を出すか?こんな論文偏重の傾向は有るそうだ。
が、一般からの「素朴な疑問」程、研究に時間が掛かり、なかなか手を出す方は居ない背景はある。


我々が目を付けたポイントは、端から「未知の領域」ばかり。
何の事は無い。たまたま、素朴な疑問が、一つの切り口に変わっただけの事。
毎度の事に過ぎぬ。


付記…
「洲崎遺跡」は、掘立住居がメインではあるが、一部竪穴住居が混ざる混成遺跡。
それで尚且つ「竈」は無い事を付け加えておく。


参考文献

秋田県文化財調査報告書第303号
「洲崎遺跡」

  • 県営ほ場整備事業(浜井川地区)に係る埋蔵文化財発掘調査報告書-

秋田県埋蔵文化財センター 編集

秋田県文化財調査報告書第437号
「脇本遺跡」

  • 重要港湾改修工事臨海道路生鼻崎線建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書-

秋田県埋蔵文化財センター 編集