「へっつい」と「専門家の意見」…生きていた証、続報3

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/08/170652

実は「竈」の探求に更なる進展があったので、報告する。
また、犬も歩けば「竈」に至った。
羽後伝承館にて「竈」は無いか?と質問したのに対し、「大内町立郷土資料館」にあるかもとの話を頂き、確認に訪れた。

f:id:tekkenoyaji:20200629182521j:plain

二基ある内の一つがこれである。
「へっつい」と言う名での展示で、写真の物は彫り込んで作っているが、もう一基は型で成形しており破損していた。その為、断面を見る事が出来たが、土を固めて作っている事を予想させる。
郷土館の方曰くでは、極新しい物であろうとの事だった(確認中)が、完品の「へっつい」に至っては、底の部分に板や棒を挿し込み移動可能な様にしてあった。
正に我々が追う「移動式竈」である。

本件、埋蔵文化財センターに報告したところ、興味を持って頂けた。
が、考古学上では、現状「竈」の痕跡が無いのは事実。
そこでこの際、中世代の専門家の意見をと言う事でご紹介頂き、直接質問させて頂く機会を得た。
秋田考古学会会長の高橋学氏へ何らかヒントを頂けないかたすねてみた。


・中世竈の存在を調べる手段はないか?

竪穴から掘立柱建物に切り替わるタイミングで、古代の竈はなくなるが、構造や形態は
変化させ「竈」自体は何らか存続していると考えていらっしゃるとの事。日常的な炊事を想定すれば、囲炉裏だけでは対応できない…これも同様。
考古学の特性上、遺跡は、地中の遺構へのアプローチとなる。仮に土地を再利用する場合は土地を一旦平滑するので、突起物たる竈は取り払われる…故に残らないのではないか?と考えておられる様だ。
筆者が遭遇し鈴木家住宅遺構は、中世・近世に入ってもごく少数竪穴住居が残った事例なので、竈も残ったとみられるとの事。
因みに、屋外の「カマド状遺構」の場合は、複数の家屋の共同炊事場的な想定もされているが、分布範囲が偏りや燃料材が木材や炭ではなく、藁や草のような類いである例があることから、日常的な炊事ではなく、何らかの生業にかかわる火を使用した施設ではないか?と推定される。
実は、秋田県内1000棟をこす古代の竪穴住居の竈が発見されているが、原型を留め残された例は高橋氏の記憶でも1例しか無い。つまり、竈神や火神に対する信仰か何かの条件で必ず壊していたと見られると考えられるとの事なのだ。


・移動式竈の存在を調べるに当たり、代替部品の存在で証明出来ないか?
・ヒントになりそうな遺跡はないか?

現況では「解らない」のが実情。
考古学に頼らない方法、例えば絵巻物や民俗事例を調べる方法はあるかも知れず、近世以前の中世家屋が現存する例から推定していく手段もあり。

以上の様な回答を頂けた。
高橋氏と、今回機会を与えてくれた埋蔵文化財センターには、この場を借りて改めてお礼致します。
ありがとうございました。

さすがに、遺跡を掘りまくった方の解説、解りやすかった。
さて、宿題は続いていく訳だ。
さすがに、何らか理由で壊される事になる「竈」がアッサリ見つかる訳もないと。
少々、アプローチ手段を広げる必要はあるのだろう。
そこは、少しずつ深く掘り込んでいこうと考えている。
少なくとも、近世での「移動式竈」の存在は、一つの物証とは言える訳で、これを遡るのもまた、北海道と東北の関係史を見る事に於いて、重要な要素の一つだから。
場合によっては、歴史を変えるのかも知れないのだから。

この「生きていた証」…
この項はまだまだ続いていく。
改めて、乞う御期待と言いたい。

因みに…
「遅くとも縄文時代まで遡ることが出来る」
この言葉は、高橋氏から頂いた。
改めて…
北海道と東北は古代から繋がっている。