「亘理」あとがき…墓石の事は石材屋に聞け

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/08/181748
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北海道に渡った亘理の人々がどんな風だったか?
これから調べたりしていく中…伊達藩としては、今迄もキリシタンネットワークの影響らを調べてきてるので、この際、知り合いの石材店の方に墓石について伺ってみた。

一般論と註釈付きではあるが…
お墓のデザイン,彫る文字等はお寺の和尚の裁量で決まるとの事。
同じ宗派でも微妙に差が出るのはその為。

で、今迄も目にしている、戒名の上に何らかの字を彫る…これも和尚の指示又は和尚の許可によるとの事。
特に曹洞宗では、「○」又は「空」を彫り込む場合がある。
その寺の和尚が、宗派の教えの中でも重要視するものがあれば、こだわりが出ると言う事になる。
勿論、江戸期なら今より厳格で、和尚が重要視する部分と違う型は嫌う。
例えば十字は?とたずねたら「それ別の宗教になるので普通にNG」と一蹴された。
違う文字らを彫れるとしたら(命救った等)余程の事情を持つ者になるそうで。
和尚が教えを超え、許可を出した事になる故だ。

でも情報を持っている。
混乱避ける為、ハッキリは書かないが…
要職に近い感じの方の側に、戒名の上に十字が彫られた墓がある。
つまり亘理伊達氏の家臣団にキリシタンが居た可能性があると言う事だ、それも要職関係者に近い人物の可能性。

久保田藩では、禁教取締で処刑された武士は多い。火刑か打ち首。
しかし、伊達藩は、かの「後藤寿庵」の様に、追放令→捕縛となる様で、身を隠し行方不明になっているのは「後藤寿庵」だけではなかったハズ。なのにお墓が「ある」のだ。
しかも、亘理にはキリシタンの伝承は無いとくる…あのお墓の位置で、それは無いと思うが。調査段階で目にすると思うが。

実際、「後藤寿庵」の存在や慶長欧州使節団ら、伊達藩と欧州との関わりは、以前からの周知の事実。その疑念が一つ増えただけの事。
でも、亘理まで…と言う事だ。

案外、所謂「伊達騒動」のきっかけは、キリシタンの処遇らも関与していたりして…妄想は止めにして、徐々にに探って行く…