エミシと擦文文化人は会話出来た…秋田城と北方交易

筆者が、歴史の勉強初めてほぼ一年。

たまたまだが、丁度原点とも言える「秋田城跡歴史資料館」で「秋田城をめぐる交流-続く道・つながる海-」企画展開催中との事…
北方交易に特化してレポート。

詳細や写真はこちらで…
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https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1296018868133957632?s=19


実は秋田城に連なる須恵器と特定されてるのは、一年前に見つけた「札幌C504遺跡」の物だけでなく、
千歳市「末広遺跡」
根室市「トーサムポロ湖周辺竪穴群」
この三ヶ所は、秋田の 須恵器窯で焼かれた物と特定されている。それも、新城窯又は男鹿海老沢窯、二ヶ所ある。

又、皇朝十二銭は「チャシコツ岬上遺跡」で出土…
渡島や渤海国とのやり取りは、秋田城専権事項となっており、これらは全て秋田城経由で北海道へもたらされたと言える。


特筆すべき点は、実は言語なのだ。

エミシが「夷語」を使い、都人と話す場合は譯(通訳)を要したと…
対して、対渤海国との接触に関しては、渡来系の「日佐氏」が通訳で派遣されていた可能性が高いと、墨書土器より示唆されている。

ここから読み取れるのは…
都人…エミシとも渡島衆とも渤海国人とも話す事は出来ず…
エミシ…渡島衆とは通訳無しで話出来るが、渤海国人とは話せない…となる。

考えてもみれば、東北弁と北海道弁には共通項が多い。
よくヤン衆らの影響が指摘されるが、これは秋田城の時代、つまり奈良,平安、北海道で言われる擦文文化期。
まだアイヌ文化の欠片もない。
東北と北海道は、非常に近い言語を使い、出土遺物も非常に近い。
かなり近い文化で暮らしていたと言う事になる。
後に書かれた「諏訪大明神画詞」…
渡党とは、難しいながら話が出来たと…
そこまで鑑みれば、そこにある渡党とは、擦文文化人の事を指す事になる。
渡島の徒党で、渡党…納得となる。

大体、北海道~東北は、縄文期には行き来して、黒曜石やアオトラ石、弁柄や辰砂(朱)を交換している。
円筒土器文化圏。端からこうなのだ。
言葉が通じないと言うのは、ここから考えてみても、合理的解釈では無い。


如何だろうか?
一年前はC504遺跡の須恵器で「へ?」となった。
だが、今では「北海道には文字がある」と平気で言っている。

これが、一年の成果と言う事だろうか。