鏃(やじり)の矛盾…「大川遺跡」に続き「天内山遺跡」にて時代背景の検証

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/13/062742

直結するのはこの項だろう。
新北海道史を、余市の「大川遺跡」の遺構で考察してみた結果である。
次は、たまたま秋田で蔵書があった同じ余市の「天内山遺跡」の調査報告書で更に深堀りしてみよう。

この「天内山異性」は、大川遺跡の対岸にある時代複合遺跡。
地理的には、以前から着目している「茂入山」や「入舟遺跡」の僅か川上側にほぼ並び存在した遺跡で、現在は開発で失われていると言う。
大正~昭和で発掘されているが、古来よりチャシ跡があったと言われていた場所である。
つまり、大川、茂入山、入舟、天内山、少々離れたフゴッペ遺跡らの発掘結果を時代背景を合わせ並べれば。余市川河口一帯の時代毎の状況が理解可能だと言う事になる。
余市の方なら、この地理的背景が理解可能だろうが、それが解らないとそんな事は思いつかないだろう。
ビルの立体地図宜しく並べれば、どんな文化変遷したかが一撃で解る…やってる話は聞いた事がないが。


さて、今回着目したのは、鉄器や骨角器…
と言うか、「鏃(やじり)」である。
時代背景毎に、その材質や形状を変えている

縄文文化期…石
擦文文化期 …鉄
アイノ文化期…骨角…

と、変遷している点が述べられていた。
発掘当時、北海道では鉄鏃の副葬は珍しく、後藤守一博士が首を傾げた…とか。
だが、我々的に疑問なのは、擦文→アイノの変遷で、何故わざわざ何故、貫通能力を下げる必要があるの?である。
擦文期では、太刀や刀剣,刀子が出土、アイノ文化期では鉄鍋,マキリ,刀子らが出土し、鉄器を持っているのにも関わらずだ。
まぁよく言うミッシングリンクと言う奴か?

ただ、この流れ…
川の直ぐ対岸、「大川遺跡」の竈や囲炉裏変遷と同様なのでは?

ここで1つ特徴的な事を取り上げる。
擦文文化期の第7号墳である。
この第7号墳では、前述の鉄鏃が墳墓副葬として出土している。
つまり、被葬者の愛用品ともとれる。

「発掘中に出土した金属器のうち、1号墳、3号墳、7号墳のものは、土器が伴出しており、その時代ははっきりしているが、~後略」
「《追記》 不完全鎌の柄材がスギであること、北海道にスギが当時も産出しなかつたであろうことから、柄が着装された状態で本州から渡来したものと考えてよいであろう。」

「天内山-続縄文・擦文・アイヌ文化の遺跡-」 峰山巌 他 昭和五十二年四月二十日復刻 p55より引用…

以上より、土器で時代背景が、同じ土層の不完全鎌で本州で作られた物と、ほぼ特定出来たと述べている。

対してアイノ文化期の骨角器の鏃は、墳墓副葬ですらない模様。
骨角器らは発掘B区2とその増設区貝塚内の出土と述べている。つまり廃棄された物だ。

ここで…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/28/194019
他項で紹介したが、南部の「聖寿寺館遺跡」では骨角器が工房で出土しており、既にアイノ文化人が作ったとも言い難くなってる事を紹介している。
近い文化を持つ者に作らせ、交易品として持ち込めば良いのだから。
「聖寿寺館」は南部の正居城、16世紀半ばに焼失しているので工房も、中央史の戦国期辺りとほぼ特定はされているが。
貴重な愛用品と汎用品では当然扱いは違うであろう。


文化は高いところから低いところへ流れる法則がある。
それを適用すれば…
少なくとも、天内山,大川の発掘結果では単純に、擦文文化人の後にアイノ文化人が住み出した事と解釈可能なのだが。
大川遺跡の様に擦文文化人は文字すら持っていたのは、墨書土器らが物語る。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/09/201054

さて、文字を持ち、鉄器の武器を持ち、秋田城と交流を持つ人々が、その交流を続けたまま文化レベルを下げる…
あり得ると思うか?
人数背景は未知数だが、その武器を持つ者達が戦乱の痕跡も残さず後発の骨角器を持つ者達にあっさり戦い破れるか?
少々ムリがあると思うが。
むしろ、何らかの理由で廃絶された土地に、文化レベルの低い者達が住み着いたと考えるのが…合理的かと思うが、如何か?

残念ながら同書では、年代特定出来る分析レベルではなかったと思われ、それぞれ何世紀の物かは語られてはいない。
それぞれ、特徴的な出土遺物から、続縄文、擦文、アイノとざっくり分けているだけ。
それでもこの程度の考察は可能だ。

仮に、「天内山遺跡」の貝塚と「大川遺跡」の廃棄品が合致するなら、「天内山遺跡」の貝塚は近世…つまり江戸期程度以降の物となる。
複合遺跡の時代背景的には、比較的新しい時代の物だ。

ここだけ見れば…
アイノ文化人は先住性は無いのだが。
まぁ、この2つの遺跡の報告書を見た限りの我々の見解…としておく。


《追記》
第7号墳の結果を見たら、どう思うか?
単純に言って…
後に入ったアイノ文化人より、遥かに本州の文化人「エミシ」に近いと言う事だ。