この時点での公式見解⑨…「北海道に飢饉が無い」は「大嘘」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/23/193547

さて、バンバン掘る。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/20/054441
以前書いた項であるが、ある方が学芸員に言われた「北海道には飢饉が無い」…この言葉でぶちギレた事がある。
だが、それが「大嘘」であることが、ちゃんと新北海道史に記載されていた。

「前略~ゆえにこれらの魚獣を多く狩ることができないときは、自然飢餓なるのである。」

「石狩および千歳の蝦夷などは、鮭を主要食物としていたのであるが~中略~鮭の遡上するものがきわめて少なかったため、ついに大飢饉を生じ、翌九年にまたがり石狩では餓死者約二百人あり、千歳でもまた死亡者が少なくなかった。」

「また十勝の蝦夷は鹿肉を主要な食物としていたのであるが、鹿の減少がはなはだしかったため、おびただしい餓死者を生じたことがある。文化三年東蝦夷地紀行~中略~トカチ川、東地第一の大川なり、……昔はエゾ五千人余住居せしに、一年飢餓することありて、餓死多く、夫より歳を経て、漸に数を増し今は三百人計有とぞ~中略~なお松前年歴捷径によれば、天明三年夏宗谷、目梨の蝦夷が八、九百人、樺太蝦夷が百八十人餓死した。」

「新北海道史 第二巻 通説一」北海道 昭和四十五年三月二十日 より引用…


確かに。前の章で「石高〇の為に飢饉が起こりにくい」とはある。
物流が発達すれば、どこかしこから金を積んで「買えば」良いのだ。それは経済圏が同一だと言う前提があるから出来るのだ。
大体、穀物のメリットは貯蔵。
自然条件の影響を最大に受けるのは、むしろ狩猟だ。
肉や魚では、穀物程の貯蔵はあの時代不可能。
だから人類は農業を始めた…こんな事も知らんとは情けない…
農作業が育たぬ位の天災なら、先に自然の植物が育たず獲物が減ってるわ。

激怒していてもしょうがないのでこの辺にする。


さて、内容の方…
これだけ酷い人口減少あらば、地域により全滅に近い場所もあるだろう。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/13/062742
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/22/042632

石狩方面でも飢饉あったとの事なので、先に紹介した「大川遺跡」や「天内山遺跡」を見てみる。
近世層とされる所には貝塚があり、骨角器の他にキセルが出土しているので、江戸期辺りと推定出来るのだろう。
何せタバコは南蛮渡来品。
ここで…
大川遺跡でもそうなのだが、各層に全く継続を感じないのは我々だけだろうか?
住居→城館とかなら解るが、住居→お墓→住居みたいな変遷が平気で見られる。

上記を鑑みれば…飢饉でほぼ全滅状態の場所に、他文化人が何らかの理由で入り込み、そこで暮らしだした…こんな仮説も成り立ってくる訳だ。
江戸中期位から、冷害による飢饉が顕著になってくる。時期的には同様だろう。
そしてこの時期、ロシアのアジア進出が顕著になり、難民発生やロシア艦艇南下や後の黒船へ繋がっていく。
そんな時、飢饉で村やコタンに誰も住んでいなければ…?
「間切り」「厚司」「陣羽織」ら、江戸期の物の固有名詞をそのまま使ったのも、時期的には合致する。

いかがだろうか?
まずは「先入観」を捨てる事からだろう。

「北海道に飢饉は有った」


参考文献:
「新北海道史 第二巻 通説一」北海道 昭和四十五年三月二十日