この時点での公式見解⑬…新北海道史に描かれた「和人は何時から?」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/28/222326

飽きもせず掘り下げる。
「先住民が~」と言うなれば、さて、和人は何時から北海道へ渡ったのか?
勿論、新北海道史でも触れている。

吾妻鏡巻二十二建保四(一二一六)年閏六月の条に、その年の二月京都の東寺の宝蔵に入り宝物を盗み捕らえられた賊徒ほか強盗海賊五十余人を奥州につかわすべき由沙汰あり、夷島に放ったとの記録あり、さらに文歴二(一二三五)年七月の条に夜討強盗の枝業は関東に送り、夷島につかわすべしのと命令が六波羅に下された由がみえている。」

「前略~泰衡のために滅ぼされた源義経が~中略~なんら史実の裏付けがあるものではなく史家もまたこれを史実とは断言していない。ただ、藤原氏の時代、奥羽と蝦夷島とが深い関係にあったことを物語っているにすぎない。」

日蓮の高弟日持が、異城布教の志をお越し、~後略」

「前略~今日函館市称名寺境内に残されている安山岩の板碑には~中略~貞治は北朝の年号で、六年は一三六七にあたる。~中略~ただしこの碑の資料的価値については否定する人がいる」

「新北海道年 第二巻 通説一」北海道 昭和四十五年三月二十日 より引用…


まず…
①鎌倉期の盗人ら囚人を島流しした件
源義経伝説
日蓮宗の「日持」
④函館にある「貞治の板碑」
これらについて述べている。
実際、①と③以外は否定的意見。
まぁこの後に「荒木大学(大野土佐日記)」の話、意富比神社,石崎八幡宮の鰐口について語られるが、勿論、荒木大学と意富比神社の件は否定で、石崎八幡宮の鰐口は陸奥北部に鍛治や金堀が来てる事を根拠に肯定的。因みに1439年。
まぁこれらを見ての特徴は、中央史の古書に記録がある、又は、東北に記録有らば否定することは出来ず…となる、北海道に現物が有ろうともだ。
勿論、その現物がどうであるかの検証は必要であろうけどもだ。

記録上、安倍,清原氏藤原氏と北海道の関係が深い事は指摘しているが、これ、擦文文化期である。
これら縁の人々はどちらに入ると考えているのか?
先史時代ではあるが、清原氏自体、都からの出羽派遣組と言う伝承が、今は有力とされているのだが。

と、船魂神社と雷光神社、何より有珠善光寺には、全く触れて居ない。
記載そのものが無いのだ。
と、言う訳で、北海道を訪れた僧は日持と言うことになっている様で。

以上の通り、東北との交流は示唆しているが、最初の記録上の和人は、鎌倉期の盗人,強盗,海賊と言う事に。
記載的には、これら次に「渡党」として、安東に率いられた武士団と言う説明をしている。
実はこの章の前章で、江戸期のアイノの風習をアイノ全体として前倒しして語っているのだ。時代背景が滅茶苦茶。
つか、そうしないと話の辻褄が合わなくなってしまうのだ。
つまり、昭和四十五年段階で「アイノファンタジー」と言うか、ずーっとそうだと言う事なんだろう…最低、否定された「縄文=アイノ説」が出た辺りからはそうだろう。


何故こんな事か起きるのか?
前項を読み、新北海道史なり史書を読んで頂けた方は、もう解ったであろう。
アイヌ文化期の初めが、何故鎌倉期なのか?考えたら理由に気付くハズである。
この時代にアイノらしき人々が居た根拠は「諏訪大明神画詞」しかないからだ。
変わった風習を持つ根拠はこれのみ…以上。


当然、これでは人口変遷やらを研究するレベルですらないって事。
昭和四十五年だから、しょうがねーよな…と、言いたいところだが、「アイヌ推進法」なる特権を与えようとしているのだから、そうは言えないだろう。
この史観は今も変わっていない。
と言うか、このファンタジー史観なので、アップデートのしようが無い訳だ。
考古学的観点含め、早急な構築し直しが必要となるだろう。

「擦文文化人」を担い手とせねばならぬのもこれ。
出土遺物との整合性がない。
結局、擦文文化人は発掘結果を見る限り、オホーツク文化人ら樺太,千島に近い文化の人々を飲み込み、ほぼ北海道全体に分布している。
そして、擦文文化人には、秋田城との関係と言う決定的な証拠ががある。
物証と古書が揃い、擦文文化人と仲良し…そりゃ口を濁すしかない。
消したくても、その点は北海道~東北の出土品らが一致する。
ましてや、擦文文化人は少数なりに、文字持ってる。
秋田城がある限り、擦文文化人を消し去る事は不可能だ。


敢えて…
河野廣道博士も後藤守一博士も、「蕨手刀らが、本州の物と特定可能なら本州の文化が及んでいた証」…こんなニュアンスの指摘をしていた。
彼らのこの指摘は正しかった、と言う事なのだろう。
何故なら、発掘結果と新北海道史の記載内容でパズルを組み立て直すだけで、ほぼミッシングリンクを解消し、合理的な歴史変遷する事を説明可能なのだから。