時系列や層別らの重要性…河野廣道博士からの警鐘

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/10/114329
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/10/052507

関連項はこれ。
今までも、大正~昭和初期の学問創成期に出された、「北海道の歴史学」への警鐘を紹介してきた。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/04/192347

直前に「時系列上の矛盾」として述べていたので、この時代にも遺跡,遺物への警鐘を紹介する。
河野廣道博士が、江別古墳群の発掘に関わった時の論説文の一部を引用する。


「封土中よりは厚手縄文土器破片・石斧・冠石その他石器時代住民の遺品が発見されるが、これ等は古墳期住民の遺したものではなく、それ以前の石器時代先住民の遺物であらう。」

「後藤氏(2)は、石斧・石鑿等を墳墓内で発掘し、この古墳を「金属器時代に入つては居るが、未だ石器使用時代を全く脱していないものであることを知るのである」と述べて居るが、同氏の発掘した石器も、古墳を遺した人達よりもより古い時代の石器時代住民税の遺物が混入したかもしれない。」

「これ等古墳群に隣接して、北海道式薄手縄文土器期の初期型に互る各期の、即ち純石器時代後期より金石併用時代に互る長期の竪穴式墳墓群があり、副葬としては北海道式薄手縄文土器の諸型と、無柄石鏃・摩製及び半摩製石斧・日本上代の古墳に見られる様な菅玉その他を出土して居る。又少し離れて数群の竪穴群があり、その内少数の竪穴群は北海道式薄手縄文土器期のもの、即ち金石併用時代のものであるが、他の多くは土師器-擦文土器器即ち金属器時代のものである。附近にチヤシもある。」

「特に注意しなければならないのは、これ等石器時代遺跡や金石併用時代遺跡と、金属器時代の古墳その他の遺跡を、近接して居るからといつて混同したり同一視してはならない事である。」

「高橋勇氏(4)は、本誌二三巻一號に、後藤寿一氏が江別で発見した玉類に関して、金石併用時代曙期及び同初期の竪穴式墳墓から出た玉も、金属期時代の古墳から出た玉も、一様に「アイヌの墓より出た玉」として紹介し、その墓の説明としては古墳のことのみ述べて、竪穴式墳墓のことは一言も述べて居ないが、読者の誤解があるといけないから、ついでに注意して置く。あの高橋氏描図の9から13まで及び15は、金石併用時代のもので、北海道式薄手縄文土器及び無柄石鏃と共に竪穴式墳墓から、1より8までも金石併用時代初期のもので、やはり北海道式薄手縄文土器と共にやゝ小形の竪穴式墳墓から、14・17・18の三個だけが、金属器時代古墳から発見されたものである。」

考古学雑誌第二十四巻第二号 「北海道の古墳様墳墓に就て」 河野廣道 昭和九年二月五日より引用…


河野廣道博士はガッツリ指摘した上で、後藤寿一博士や高橋勇博士の間違いを訂正している。

近くの遺跡とごちゃ混ぜにするな…
時系列で並べなければダメだ…
全部アイヌにしてはいけない…
と。

時系列で並べる重要性や遺跡上の層別らはちゃんとやらねばならぬと警鐘を鳴らしてくれているのだ。
この論説は「江別古墳群」の発掘時の話で
この後には、後藤寿一,曽根原武保両博士の「恵庭古墳群発掘報告」が続く。
そんな時代なのだ。

さて、なら今は?
結局、何も変わっておらず、そのまま一定の仮説に合わせるべく話が進められている。
それがこの辺だろう。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/21/101118
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/30/194418

なので、こうなのだ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/28/222326

「繋がっていない事をわざわざ書いてあるのに、それに気付かずに個別反証のみばかりしてきた」そのツケ。
元々、一番必要だったのは…
「時系列的指標の設定」、つまり通史として見る視点。

研究者だけではない。
関わる,携わる全ての人が襟を糺すべき。

だから、我々はその指標を「北海道~東北の関連史」に見いだそうとしている。