ゴールドラッシュとキリシタン11…不意に遭遇したキリシタンの里「南部藩佐比内」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/28/125559

久々の「ゴールドラッシュとキリシタン」シリーズである。
きっかけはこちら…
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1336053854933151744?s=19
たまたまなのだが、花巻の「石鳥谷歴史民俗資料館」を訪れた際、キリシタン伝承を伺ったところ、隣の紫波町キリシタンの里があったと言い、この痕跡が残されると言う。
その場で聞いた話では、最大二万人の金山があり、遊郭らも備えた鉱山町になったと…
そこで急遽訪れてみた訳だ。


石鳥谷歴史民俗資料館」では、「佐比内公民館」のリーフレットをcopy頂き、早速電話確認。
シーズンなら、「佐比内金山隠れ切支丹物語」と言うガイド付きトレッキング案内もやっているが、当然シーズンオフ。
時間も無いので、車で行ける範疇を教えて戴く。
では、痕跡とはどの様なものなのか?

1枚目は、倉の紋で十字架を模す。
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二枚目は、所謂キリシタン墓と言われる。
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確かに不自然に花が掘られる。
この花の位置で十字架を模すのだそうだ。

微妙だと思う方…実はこの地区は、ミサを行った伝承を持つお宅が残されたり、トレッキングでな「クルスの祈り石」と言われる石碑があり、遺物と伝承が合致するガチの隠れキリシタン里。


さてでは、この辺の当時の状況は?
「この年の十一月、佐渡相川金山が衰退したため山師三六人衆の一人である丹波国弥十郎が一〇〇〇人余りの金堀を連れて志波郡朴金山に入った。そこは六十枚平といわれ山小屋二一二〇軒、山師・大工など、一万三〇〇〇人がいたという。その中には多くのキリシタンがいたというが軈て爆発的な人気となり他の八ヶ所にも金山が開発されていた。ちょうど盛岡城下から遠野城下へ達する街道沿いにあり、その事は「祐清私記」にも記されているように地元の人々は大いに迷惑だったとしている。」

「東北のキリシタン殉教地をゆく」高木一雄 聖母の騎士社 2006年9月1日第二版 より引用…

トレッキングでは、僧ヶ沢,洞ヶ沢,朴木の各金山口やミサのお宅、クルスの祈石らを回るようだ。
まぁその段階でも、盛岡や遠野も含め多数のキリシタンが居たようで、探索により捕縛され、転び又は殉教となっていき、他藩と同様である。

まさかいきなりこんな現場に遭遇するとは露も考えず。
なんとか見る事が出来たのも、紹介してくれた「石鳥谷歴史民俗資料館」「佐比内公民館」そして、道を教えてくれたりした地元の方々の協力のお陰。
この場で改めて感謝したい。
ありがとうございました。

ただ、これらは現在も生活が営まれた地域で、民家の脇にあったりする。
細い道や民家脇を通るので礼は必要、生活の邪魔をしてはいけない。
一度、「佐比内公民館」への問い合わせを入れ確認が必要と考える。


さて、地元の方に教えて戴いた伝承…
その方の家の裏山でボヤ発生したそうな。
ヤバいと思い最悪も覚悟した…
だが、何故かそのキリシタン墓から一直線に線を引いたように、家側に一切燃え進まずに火事から逃れたと…
なので、思い出した時には拝むとの事。
どうやら、墓の位置は変わっているようで、たまたまその場所に集められ設置されたと聞いているそうだ。
「関係あるかわからないよ」と笑顔で教えて戴いたが、関係の有無以前に素敵な話だと思った。
ふと思い出し、想いを寄せると言う「マインド」の問題なのだ。

思う…
色々有ろうとも、恨み辛みではない…
たまに思い出し、礼を尽くせば礼を返してくれる…
これが我々の先祖から受け継いだ「マインド」。
宗教だなんだ以前の話なのだ。
大切にしたいものだ。


ほっこりしつつ勉強させて戴きました。