改めて「原点回帰」…古代北海道と秋田を繋いだ「C504遺跡」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/13/185111
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/151154

先に「時系列上の矛盾」として紹介してしまったが、このブログの第1回目が「秋田城」である限り、いずれはこの場所も…と思っていた。
では、秋田城経由の須恵器で古代北海道と秋田の繋がりを証明する「C504遺跡」の発掘調査報告書を紹介してみよう。

立地は、桑園駅に南約250m、札幌市中央区北8条西15丁目。
数々遺跡のある札幌は旧琴似川沿いの一角にある。
元々北海道財務局から文化財課へ試掘依頼があり、その段階でも竪穴住居跡らが見付かり、現状保存が望ましいがやむを得ない事情の場合は本発掘調査が必要と回答し、その後、マンション用地で競売にかかり、本発掘に至ったとの事。
確かに、Googleearthで見ると発掘箇所の建物と保存として駐車場になっている。

遺跡の概要だが…
地層は、概略13層に分かれ、9層aに焼土跡らが、9層dにB-Tm(苫小牧火山灰層)と判断される火山灰、11層cで竪穴住居跡,竈跡らがが検出された。

「当該層は、出土土器の形式的特徴から、擦文前期に位置付けられると判断した。なお、第1号竪穴住居跡と焼土粒集中で採取した炭化材、植物種子を供材とした14C年代測定(AMS法)では、補正年代B.P.1210±70年~B.P.1310±40年という測定結果が得られており、考古資料に基づく年代と矛盾しない。」

「札幌市文化財調査報告書77 C504遺跡」札幌市教育委員会 平成17年3月31日 より引用…

9層dが苫小牧層なら、その下なので、7~8世紀なら矛盾はない。

遺物は…
木製品…竪穴住居の柱材や焼けた炭化材
土製品…擦文土器、紡績車、土の勾玉、須恵器
後は、たたき石ら。
ここでは鉄器は無い模様。
植生や動物遺存体も、アワ・ヒエ・キビ・アサらとサケ,ウグイら大体同じで、イタチの仲間の骨辺が二つ出土。
やはり雑穀や魚類中心っぽい感。

柱材について、
「加工順(作業順)としては、①縦斧による底面加工(伐木)、②縦斧による側面加工(側面の一次加工)、③横斧による側面加工(側面の二次加工)、④主に縦斧による基部周溝加工(縄掛け溝の作出)、⑤縦斧・横斧による底面加工(⑤a基部切り落とし→⑤b側面の平坦・平滑化等二次加工)が順になされている。」

「札幌市文化財調査報告書77 C504遺跡」札幌市教育委員会 平成17年3月31日 より引用…

柱材は幾つかの遺跡で残されている様で、札幌H519遺跡ら樹皮が残る物もあるが、恵庭茂漁5遺跡同様にチョウナでの切削跡が残る。
そう言えば、後藤寿一博士が発掘した恵庭古墳群の非葬者は、斧や鎌等の道具を副葬していたが…関連あるのか?

さて、本題。
須恵器は同size同様の物が二個出土している…これだ。
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秋田城跡歴史資料館の特別展パネルより。

これが、後の調査で秋田の「新城窯」で焼かれた物と特定された。
古書らを含め、当時に渡島とやり取りが許されていたのは出羽国司、そしてその補佐をする秋田城介…秋田城が全てを統轄していたのは、明らかになっている。
つまり、「新城窯」→「秋田城」→「?」→札幌「C504遺跡」となる。
何故「?」を付けたのか?
本州側に秋田城と言う拠点があるならば、北海道にもその拠点が必要となるだろうと考えるからだ。
津軽,渡島衆も、複数人官位を貰った記録はそれ以前の古書にあった。
なら、複数の土豪が集まる港なり拠点が要る。
現状、古書で記されているのが「後方羊蹄」、なので我々は便宜的に「羊蹄柵」と読んでいる。
それが何処なのか?
勿論、はっきりしてはいない。
だが、その特定が出来れば、北海道の古代~中世史は一気に解明されて来るだろう。
なので、注目しているのだ…「余市」を。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/09/201054
ただ、札幌にこれだけの規模の居住区があるなら、別に石狩低地を治める城柵もあり得ると思う。
何せ、秋田にはこれがある。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/05/111331
記録に無き謎の城柵「払田柵」…
これがある限り、「羊蹄柵」だって、「渡島郡衙」があったって、何の不思議なぞ無い。


ここが原点。
でも、確実な物証を持つ原点。
勿論、ここにアイノ文化の痕跡はまだ無い。
つまり、北海道~東北の関連史の方が、アイノ文化より遥かに古いのだ。
だから、我々はハッキリ言う。

北海道と東北は、古代から繋がっている。
それが切れた事は、一度たりとも「無い」。


参考文献:
「札幌市文化財調査報告書77 C504遺跡」札幌市教育委員会 平成17年3月31日