時系列上の矛盾…江戸期のフィールドワーカー「林子平」が描いた蝦夷衆の容姿、船、そして地図の矛盾『追記あり‼️−2』

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/20/164436
この辺が関連項になる。
実は筆者は先日、「蝦夷國全圖」を見た。
写本者不明だが、原本を書き世に出したのは「林子平」である。
これには「クナシリ嶋」や「カラフト嶋」らの記載があり、興味を持った。
林子平と言えば、以前に紹介したこれ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/16/193257
この際と思い、大元となる「三国通覧図説」を見てみる事とした。
前項に蝦夷衆の出で立ちがあったので、まずは林子平が描く蝦夷衆の装いを引用してみよう。
本文と言うより、図解の部分である。
※追加−2
図を追加する。


「此図ハ蝦夷ノ部長ナドにテ上品ノ姿也
男ノ惣称ヲ、ツカイト云、女ノ惣称ヲ、メノコシト云
夫ヲホクト云、妻ヲマチト云
此図ハ蝦夷人、唐山(筆者註:唐山でカラ)ノ服ヲ着て、莫斯哥未亜(筆者註:ムスカウビヤ、モスクワ)ノ被リ物ヲ被リ、日本ノ太刀ヲ帯ル躰也」


「此女夷ハ上品ノ姿也
女は皆面ニ草花或ハ破格子ナドヲ黥ニスルム、唇ヲバ薄ク黥シテ青色ニスルナリ
此衣服ノ織物モ自国ノ物ニアラズ、唐山䓁ノ織物也
帯ハヒツコキニテ前ニテ結ブム、下品ハ藤縄䓁ヲ用」


「中品ノ女夷、大概此等ノ姿也
蝦夷は男女共ニ眉毛、一文字ニ生ツヅク也、其外、惣身毛多シ
上下トナク男女皆、徒足ニテ霜雪岩石ヲ踏テ少モ痛ムてナシ男夷、山ニ入テ獣ヲ狩モ皆徒足也」


「中品ノ男夷、大概䓁ノ姿也
蝦夷人、日本ノ古着ヲ服シ鹿ノ皮ヲ腹巻ニシタル躰也ム」


「下品ノ夷人、獣皮ヲ着タル姿也、被リタル物は本邦ノ雪帽子ヲ用ヒ自国ニテも制スルム
中下品ノ者共ノ帯ル、脇差ヲ、タシロ或ハマキリト云、皆本邦ヨリ渡スム、出刃包丁ノ類ニシテ悉酒田打也」


「下品の女夷、大概此䓁ノ姿也
此衣服ノ地ヲアツシト云、此物バカリ自国ニテ制スルム
藤ノ如キ蔓草ノ皮ヲ以テ織ト云リ精粗品々アリ」


「アツシ
都テ衣服ヲ、アツシ、亦ハ、ジツトクト称ス
此服ハ男夷、晴ノ時服ス
皆日本ノ古着ニシテ純子、穤珍ナドノ單物ム
模様ハ紺の木綿ヲ様々ニ切テ縫付ルム、女夷ノ服ハ紋様禁制也
袖縁ハ木綿ム
長ハ、對丈ニスルム
左マエニ合スルム」
「アツシ 此織物バカリ自国ニテ制スル也」


「男夷ノ衣服ム
是即、唐山ノ物ニシテ、満州、カラフトヲ経テ蝦夷ニ来る也、世ニ蝦夷錦ト云モノ即是也
袖口ヲ四五寸折返シテ着ルム、是ヲ馬脚ト云
是即韃靼ノ風ニシテ今ノ唐山モ皆此制ム」


「女夷ノ衣服
男服ニ似テ袖ニ馬脚ノ折反シナシ
是亦唐山ノ物也」

「北方未公開古文書集成 第三巻」寺澤/和田/黒田 「三国通覧図説」林子平 昭和五十三年七月 より引用…


勿論、「蝦夷國全圖」は、図解部分冒頭に記載される。
オリジナルはこれになる。
以前紹介した通り、「江戸期のマキリは酒田製」…by林子平

さて、ポイントを…

主に上品(恐らく富裕層)の人々は男女共、
唐物の服を着て…
ロシアの被り物を被り…
日本刀を差す…
正直に言えば「節操が無い」。
SNS上の意見では、文化の「独自性が全く見当たらない」と、確かに…

刺青の話は良く出るが、どうやら口周りだけでなく、頬らに「草花や破れ格子」の刺青があったと言う。
確かに、図解でも花の刺青が見える。
全ての女性…幕府から止める様言われる訳だ。
また、男女共に、眉毛は左右くっついて「一文字」。

全員皆素足。
霜だろうが雪だろうが岩だろうが関係なし。あれ?たまにある下駄やらの遺物と整合性が無い…

中級位の人々から、服は本州の古着&毛皮になり、貧困層でアットゥシ生地の着物や毛皮となってゆく。
アットゥシは服の名称ではない。
生地の名称だと言う。
まして刺繍するでなく、藍の木綿のパッチワーク…これも後に語られるアットゥシと違う。
ましてや女性の服は模様を入れる事を禁じている。
辻褄が合わないのだ。

蝦夷錦も上流階級のみ、上記①~四の通り上下階級差あり男尊女卑ありの差別社会と言わざる終えない。

随分様子が違う感。
まぁ「時代変遷」もあるだろうが。
何せ…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/11/143552
「この時点での公式見解⑥…幕府の帰「俗」方針であり、明治政府に非ず」…
こんな風に蝦夷衆の秩序がひっくり返っていく。
貧困層と富裕層の逆転はあり。


ところで、もう1つ紹介しよう。
シーパワーの要、「船」である。

蝦夷ノ舟、多ク丸木船ム、大木ヲ鐫テ制ス、又板縄結ニシテ造ルアリ二人乗ニモ、三人乗りニモ」

「北方未公開古文書集成 第三巻」寺澤/和田/黒田 「三国通覧図説」林子平 昭和五十三年七月 より引用…

あれ?
アヨロでは「和船」が…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/18/060108
「時系列上の矛盾…白老の蝦夷の人々が逃げる前の姿の一端」…
これも矛盾。
まぁ、地域柄もあるか…
とは言うものの、現実の出土品との違いは否めず。


さて…
この「三国通覧図説」が書かれたのは、天明五(1786)年。
近藤重蔵蝦夷探索の任に着くのが寛政十(1798)年の様なので、林子平の地図が先になる。
勿論、伊能忠敬間宮林蔵が測量したのは更に時代を下る。
故に北海道はかなりひしゃげている。
確か林子平が北海道中を歩き回ったと言う話は無いかと思ったが…
とすれば、この地図のオリジナルを作ったのは誰?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/01/26/174810
「「弾左衛門」…蝦夷地を測量し、近藤重蔵に地図を渡したとされる人物」…
こんな話は調べたが。

いずれにしても、これが林子平が描いた「蝦夷衆の姿」の一端である。


追記…
ご指摘?があったから記載しよう。
上記文面に「アイヌ」などとは、一言も使用していない。
これは「林子平が描いた蝦夷衆の姿」であり、「アイヌの姿」ではない。
仮にそれを同じだと言うなら、考古学、文献史学らでの一致が必要。
それは未だに取れてはいない。
だから我々改めて掘り下げている。
それら一致なく、これを「アイヌの姿」だと断定するなら、それこそが「差別主義」なのだ。
それが解らぬ方が居るのは認識している。

敢えて書く…
なら、自らの手で「一次資料を持って一致すると立証」すれば良いだけの事だ。
我々の様に…

※追加−2
上,中,下階級の男女別それぞれの画と、服そのものの画を追加する。


参考文献:
「北方未公開古文書集成 第三巻」寺澤/和田/黒田 「三国通覧図説」林子平 昭和五十三年七月