必ず言語系につきまとう「壁」…「赤蝦夷風説考」に記される「国別聴こえ方の違い」の事例

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/08/124743
「赤蝦夷風説考」からもう一項取り上げてみたい。

言語系である。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/23/193547
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/10/052507
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/09/074422
幾つか言語系の話は例えば、「アイヌと使い始めたのはジョン・バチェラー」等紹介している。

さて…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/21/052745
ここにある通り、言語系研究者が以前から言う、『「ネイ」「ナイ」等共通の言葉から、近世以降のアイノと東北の関係を示唆させる』…これはたまに散見される話で、「奥州市埋蔵文化財センター」では、わざわざ「言語系からの指摘は把握しているが、北海道系住民の「ムラ」は発見されていない」とはっきり書かれる始末。

筆者はたまに、お国言葉でSNS投稿をするが、自分で話した事をひらがなで落とすとまるで呪文になり、本人が何を書いたか解らなくなりそうになる。
そりゃそうなのだ。ズーズー弁と言われる東北弁は、実は「鼻濁音」や「中間音」的な発音をする為、まんまひらがなに変換不能

同じ様な話がこの「赤蝦夷風説考」に記載される。
引用してみよう。


「赤蝦夷の国も、カムシカットとも、カムスカトカともいふ。こなたの好事の輩並に長崎人などの昔よりいゝ習わせる所なり。その根元は、万国地図唐山反訳に加模西葛杜加と有り。~中略~これ唐山人のヲランダの羅甸(筆者註:ラテンと読)の読法といふ事を知らぬ故なり。カムスカトカと文地を一トクサリにしていへば、カムサスカという様に聞こゆるなり。惣て蕃字の心得に、外国人はすべて語音の出所違ゆへ、慥にしるしがたし。ムスコビヤとヲランダと隣国ながら各別に違い、唐 日本とは尚更なり。たとへばほととぎすも聞にほんそんかけたと書しるすなれど、てつぺんかけたるも、不如帰とも、郭公とも、皆その聞人の心によりて、いづれもほとゝぎすの調子にはかなわず。このカムサスカもその通りにて、松前人の耳にカムサスカと聞こゆれば、それを証拠にしてカムサスカと記がよし。~中略~ホルランデヤを日本にてはヲランダと聞、唐にては和蘭と聞がごとし。さすればカムサスカと記してよし。万国地図もみるに、カムサスカの地、赤ゑぞなる事明らかなり。しかれば赤蝦夷はカムサスカという国としるべし。」

「RUSSIAヲランダ文字しるす所、かくのごとくルユツシヤなり。しかれども前条のとをり、松前人の耳にまかせてヲロシアを書記すものなり。一千年以前よりこの国保て、王号を称する国なり。王城のこれある都をムスカウと称す。故に国をムスカウビアとも称するなり。欧邏巴境の国なり。(ムスコウビヤか。ヤの字は国下につく語勢の助語の熟語なり。アカサタナハマヤラワの音の勢にて付て称するなり。即ムシクワなり。~後略)」

「(ヤクツコエはヤクツコイのあやまりとみへたり。コイ(エ)トいふ事は方言なり。ヤクツコイと云国有り。国名の下につく又考にヲランダの耳にはコイと聞、松前人はコエと聞かこの段ははかりがたし。)」


「北方未公開古文書集成 第三巻」 寺澤/和田/黒田 「赤蝦夷風説考」工藤平助 昭和五十三年七月五日 より引用…


この様に、ロシアの国名や地方名らを、オランダ語書物と比較しながら、オランダ人の耳、松前の人の耳らで聴こえ方が違うとか、本来はこうであろうが、「ほととぎす」の事例から間違いではない等、解説している。
この時代の蘭学者らは「知識の塊」。
言語から地理、地制学、算術、地質学だろうが美術だろうが医学だろうが見境なく知っている。秀才揃いと言わざるおえない。

工藤平助曰く…
発音された言葉により、
ヤクツコイの最後の「イ」の字は、
オランダ人には「イ」
松前人には「エ」に聴こえるのではないかと言う。
確かに前にも紹介したが、戦国~江戸初期に来日していたバテレンたちは、
出羽(でわ)→gewa(ゲワ)
院内(いんない)→inai(イナイ)
松前(まつまえ)→matomae(マトマエ)
等、自分にどう聴こえたかで、そのまま記載しているのだろう。
つまり言った本人がどう発音したか合致する訳ではない。
「赤蝦夷風説考」ではそれらを説明している。

ましてや、バテレンらが書いたものを現代の我々が読んだとすれば、言った本人からすれば二重にフィルターが掛かる事になる。
我々はそれを、現代ある単語に当て嵌め、推定していくしかない。
極当然の事。
つまり、本当に正しいか?「解らない」のだ。

これが、言語系につきまとう「壁」。

特に北海道~東北はお国訛りが混じり、上記の通り鼻濁音や中間音にまみれて会話している。
それが…
スペイン人に…
ポルトガル人に…
オランダ人に…
イギリス人に…
ロシア人に…
どう聴こえたか?は、彼らが我々が元々言おうとした単語との差異を比較するなりしないと解読不能だって事。
工藤平助は、自らの万国地理誌らとの比較で証明しようとした。


さてでは…
ポルトガル人のバテレンに聞こえたこれ、
「ainomoxiri」と記載された地。
これを持って中世の蝦夷衆の言葉と近世アイノが繋がり、「アイノ(後にバチェラーによりアイヌ)」された根拠の一つ。

aino moxiri…
ain omoxiri…
ainom oxiri…
もしくは
wa inom oxiri…
wa in no simosiri…

切る場所も何も解らずなのに、どうやって本当に話した人の言ってる事だと立証出来るのか?
それ以前に残された古書上にあるのは「蝦夷」「夷」「狄」「口ゑぞ」「赤ゑぞ」…これは時代によりその対象となる人々が住む地域が変遷し…
地名は時代により「渡嶋」「蝦夷ヶ嶋」「蝦夷ヶ千島」「蝦夷地」らと、時代変遷し、その対象が微妙に変わったりしている。

更に、筆者が公文書館で聞いた話…
古文書は、単語でなく文脈で読めと教えてもらった。
実際昨日も明治の文書で、どこで切って良いのか解らない事例があった。
上記引用を見ても、蝦夷だったりゑぞだったり、ひらがなだったり、送り仮名が無かったり有ったりだ。
文章全部読まないと解らない。
言われた通りだ。

我々は、別に真実が解れば良いだけだ。
aino moxiriが真実であるなら、それらを一次資料を持って立証すれば良いし、「アイノ」ではなく「アイヌ」が真実なら、それを証明すれば良いだけなのだ。
これは、我々がやる仕事ではない。
それを主張する方々がやれば良いだけ。

文字を探せば良いではないか。
複数の言語を駆使し、文字を扱える蝦夷衆は存在する。

樺太系なら「ヤエンクル」
何せ彼は「清朝」から書状貰う人物だ。

千島系でも「赤蝦夷風説考」にある「エハンテ」なら、國語ベラベラでキセルにひらがなで三十一文字の唄を書く、ロシア語らとのバイリンガル

辿って文字を探せば良いだけだ。
但し、その段階で「アイノには文字が無い」と言う前提は崩れ、「識字率が低い」に変わってくるが。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/09/201054
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/01/20/192453
我々は端から「北海道には文字がある」と言い続けて探している真っ最中なので、一辺たりとも困らない。
むしろ朗報。

一言で済む。

「やる気があるなら地道に片っ端から探せ」

やる気の無い者の主張なぞ聞く耳無し。
何故なら、我々は知識「0」からそれを実行しているからだ。

やりゃ良いだけだ。



参考文献:
「北方未公開古文書集成 第三巻」 寺澤/和田/黒田 「赤蝦夷風説考」工藤平助 昭和五十三年七月五日