時系列上の矛盾…「コロボックル」?、赤蝦夷風説考にある赤蝦夷の人々の姿

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/08/124743
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せっかくなので、もう少し「赤蝦夷風説考」に触れていく。
と言うのも、樺太沿海州方面の話はよく聞くのだが、千島~カムチャッカ,オホーツク方面の話は格段に少ない。
なら、全体像として、赤蝦夷の人々がどう描かれてあるか?を引用してみよう。


「一 人物ひくき方、顔の色薄赤く黒き方、髪は黒し。顔のはゞひろし、はながとがり、眼くぼむ、眉うすし、腹大きくたれたる方、手足やせたり。肩程よくはゞひろき方、食するに手を以てして洗う事なし。」
「家は小屋に居て、四束五束の(足のたけを一束といふ)ふかさに土をくぼくほりている。四本はしらを建て、上に二階あり。外とは土にてぬる。二階のうへに四角なる穴をあけて、上窓煙出し戸などあり。」
「漁猟を第一とす。皮を着る。様々の獣皮も着す。顔をぬりなどして唇の方をのこす。女はのこらず、黒く成す。銀の鐶を耳にかける。日本人にては○○○○○(筆者註:ヲランダ文字?「ヲクエツ」のルビ有り)といふ。」

「右ゼヲカラーヒ(筆者註:「書ノ名」のルビ有り)の説(これは赤ゑゾの古来よりの人物の記事にて、ヲロシアの人物にはあらず)」

「北方未公開古文書集成 第三巻」 寺澤/和田/黒田 「赤蝦夷風説考」 工藤平助 昭和五十三年七月五日 より引用…


工藤平助はオランダ版万国地理誌(ゼオガラヒー)から引用した模様。
上記は下巻より。
下巻は主に万国地理誌らからの解説が主になる。
本文的内容、主たる主張は上巻にあるが、こんな事も書かれている。


「さて又、前に申す所のゑぞの金山掘り方入用の事は、他の金山と事かわりたる子細有り。ゑぞ地、金、銀通用これなく、只、米、酒、塩、たばこの類ばかりを好むゆへ入用と申すに、金銀は費へず、只山内はたらきの人の給分入用ばかりにて、これも地付きのゑぞを交えてはたらくゆへ、給分は皆俵物にて、正金は入らぬ見込なり。夫ゆへ入用多くかゝりても、掘出高をもって交易金のたすけと成すべきなり。」

「北方未公開古文書集成 第三巻」 寺澤/和田/黒田 「赤蝦夷風説考」 工藤平助 昭和五十三年七月五日 より引用…

まずはこちらから。
蝦夷衆は金銀は欲しがらず、食料たる米や嗜好品ばかり欲しがるので、給料として米を充てると言う事。
実の話、工藤平助の主張とは、
①北海道の開拓で金銀を確保し、我が国の資源とする…
②周辺の蝦夷衆を雇い入れ、鉱山で働かせ米を給料として払う…
③産出した金銀らで、正式にロシアとの通商を開始し、西洋の物品を得る…
④上記をロシア南下で、千島の人々が全てロシアに飲み込まれる前に行うべき。
と言うもの。
ぶっちゃけ、眼と鼻の先迄南下すれば、密貿易を取り締まる事は不可能と説く。
現実、国後場所を開いた後、場所役人や請負商人へ接近している事態が起こっているし、松前の密貿易は疑われていた。
その辺の事情を工藤は掴んでいた模様。

まぁ…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/27/200716
工藤平助や林子平の提言でこんな話になっていた。
止められないのなら、しっかり管理すべし…と言う事だ。


さて、本題。
万国地理誌から引用し、工藤平助は「ヲロシア人となる前の赤蝦夷の人々」と註釈を付けた上で、それがどんな人々か解説している。
つまり、西洋人が見た「千島~カムチャッカ~オホーツク」の人々と言う事になる。
随分、具体的で何時の間に調べたのか?
万国地理誌が書かれたのは1600年代の模様で、工藤平助らは1700年代の人物。
書かれた百年後の人物だ。
そして、工藤の時代、既にオホーツク,カムチャッカはヲロシアの一部とされている。
まぁ西洋人から見たら…
背は低い訳で、
小屋の様な竪穴住居に住んでる、
ピンと来る方もいるだろう。
「コロボックル」伝承だ。
蝦夷の人々が、元々どんな部族でどんな血統を持つかは別として、そこに住む人々はこんなだと言っている訳だ。

さて、これを時系列を考慮すれば、Ta-aTa-b等の降灰も含めた時期を挟み、百年ギャップはある。

万国地理誌成立

蝦夷の人々がロシア人から内容を聞く

蝦夷から本道に伝播

ユウカラに反映…

…これは可能性としては成り立ってくる。
この時、口蝦夷(元々北海道に住む蝦夷衆)
への伝播は、
①通商による口伝…
②赤蝦夷が降灰後に本道に渡る…
でもどちらも可能だし、有り得る事になる。
故に『「コロボックル」伝承は、万国地理誌に描かれた「赤蝦夷」の姿である』…
時系列的には充分に可能だ。

四本柱の竪穴住居なら、発掘調査報告書で今までも見てはいる。
取り立てて違和感も無し。
と言うか、ここまで見てきた限り、降灰直下にあるのは、多くは竪穴住居。
中世迄竪穴住居に人々が住んでいたとしても、何の矛盾はないのだ。
寒さをしのぐには利に叶っているのだから。

まぁ今までも我々はこんな報告をしてきた。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/05/135443
特段取り立てて驚きはない。
ロシア情勢やその他の内容と「赤蝦夷風説考」の内容が合致し、それが「コロボックル」伝承に拡大又はそれすら背景を増強する内容と成り得ると言っているだけ。
これなら、遺跡の発掘結果とも近くなる。
合理的な思考ならこうなると言っているだけの事だ。



参考文献:

「北方未公開古文書集成 第三巻」 寺澤/和田/黒田 「赤蝦夷風説考」 工藤平助 昭和五十三年七月五日