「江釣子古墳」等に見える終末古墳の考古学的見地…絶対に北海道の教材には載らない「真の北海道~東北の姿」

やっと雪も溶け、北国も春の便りが少しずつ出てきた。
もうすぐフィールドワークの季節。
北海道の方々が、江別や恵庭古墳群の話をされていた。
せっかくだからここは、考古学者がそれら古墳群を、どんな風に捉えてるのか引用してみよう。
この引用を見てから江別や恵庭の古墳群見ると、多少見え方が変わってくるのではないだろうか…


「これまでの研究によって北東北の古墳には、岩崎古墳群のような主体部が竪穴式の土壙タイプと江釣子古墳群のような川原石積みの石室タイプがあるということが明らかとなりました。前者には北海道の江別市後藤遺跡、対雁町村農場遺跡、恵庭市茂漁遺跡なといわゆる北海道式古墳も該当します。」
「北海道式古墳とは、千歳市ウサクサマイ遺跡のように続縄文文化(後北・北大式)の伝統である屈葬を基本とする土壙墓(円形・楕円形・隅丸長方形で、底の隅に円柱状の穴があり、壁の袋状の穴に土器を副葬するのが特徴)に併行、もしくは後出関係にあり、北東北の古墳の影響によって伸展葬に変化したと考えられる高塚墓です。」
「年代は8~9世紀前半とされ、副葬も土師器・須恵器・蕨手刀・直刀・刀子・鑷子(筆者註:ピンセット状の鉄器)・鎌・鉄斧・環状装身具・銙帯・金具・砥石・勾玉などがあり、北東北とはほとんど変わりません。同期の住居にはカマドがあり、農耕も行うなど生活内容も前代と大きく変化しています。北東北から人々の集団移住の可能性も考えられ、本州文化の強い影響による社会変化を物語っています。」

江釣子古墳群とその時代-古代北東北の自立と個性への道-」 北上市博物館 平成10年3月25日 より引用…


以上の通りで、特に噛み砕く必要もなく、簡潔な説明。
北上市奥州市は、「阿弖流為の戦い」で幕を閉じる38年戦争の真っ只中の地域なんで、その歴史的解釈は北海道に負けず劣らず独立論的「赤い指向」だと言う事は、我々から見ても否めない。
しかし、それでも北海道式古墳と江釣子古墳群との共通項が多過ぎてこんな表現にならざる終えない。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/23/054323
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/24/172128
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/21/144647
これら古墳群の後に、土師器の影響で擦文土器が生まれたと特定されてきたのも、同時期の古墳の研究結果らと突き合わせ、時系列的に並べていった結果。
もうこの辺は既に、考古学的には特定されつつあるのだ。

ところで、筆者は時折「北海道の方が秋田より、都に近かった」と呟く。
これは、秋田側にはこの高塚墓が現状発見されてなく、周坑のみとかはっきりしないものしか検出されていない為。
つまり、秋田城が出来る前に北海道に入った土師器集団は、陸奥国側の人々なのだろう。
秋田県南一部に周坑を伴う「蝦夷塚古墳群」らはあるが、秋田全域に都の文化が急速に広がるのは、秋田城の影響で海側からの文化流入が激しくなる頃から。
この古墳,飛鳥期に都からもっとも遠いのは秋田近辺と言う事になる。

北海道が未開なんて言ったら、続縄文の人々と一緒に道央を開拓したであろう「岩手蝦夷(エミシ)」の人々に怒られる。
何せ、次々時代に奥州合戦後に於いて、余市鵡川迄は村々里々…鎌倉方武者が驚いて記録する位。
それだけ、開拓されていたし、それらは
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/01/22/192105
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/04/103624
余市「大川遺跡」等や札幌「サクシュコトニ遺跡」ら、擦文文化期遺跡で立証可能だ。
考古学者達に見える「真の古代北海道の姿」は、こんな感じであろう。
だから、言葉「すら」通じないなんて事はこの段階では有り得ないのだ。

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1198717518061301760?s=19
https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1230595229901672448?s=19
因みにこれが、筆者がフィールドワークした時の「江釣子古墳群」と「北上市博物館」所蔵の展示品の一部。
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パッと目で北海道で不足なのは「馬具」位。
だが、土器もそれぞれの物が有ったりするので、交流が如何に深かったか解る。

念のため…
これが、秋田城が築城される前の姿。

だが、SNS上話した限り、殆どの道民の方はこの姿を知らない。
と言う事は、恐らく北海道の教科書や教材に載っていないのだろう。
勿論、ここまでとは、筆者も改めてこうして学んでみて理解出来た事。
まぁ東北でも、ちゃんとは載ってないし、はっきりは書かない。
触れる事が可能なのは、専門誌か、博物館,資料館のみだろう。


これが「真の北海道と北東北の姿」。
多分、教科書には載らない、考古学者的常識。
北海道には「文字が無い」設定。
なら、本来口伝等より信用に足りうるのは?…消去法なら考古学的見地や科学分析的見地だ。
それを無視するから「ファンタジー」になる。
これに気付かぬ方が、どうかしている。


参考文献:
江釣子古墳群とその時代-古代北東北の自立と個性への道-」 北上市博物館