時系列上の矛盾&生きてきた証、続報31…実は墓の発掘で詳細特定出来る段階ではない

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/18/105718

続けて、有珠4遺跡発掘調査報告書を掘り下げてみたい。
本来の発掘目的は「墓の発掘」なので。

この遺跡で検出された「アイノ文化期の墓」は23基。
先の「畝状遺構」同様に時代層別すると…
1640年より前 …2基
1640~1663年…10基
1663年以降 …10基
不明(1663よりは前)…1基
となる。

特徴的なのは、幾つか覆土に「V字クラック」があり、埋葬段階で遺体周辺には空間があったのではないか?とされた事。
その内3基は「木棺・木槨構造」、つまり木の棺に埋葬された事を示唆させる。
残念ながら木棺の欠片らは検出せず。
と、詳細記載部のみで、他の箇所には登場しないが、1基(GP021)のみ、1640年の地震に関与した「白色津波砂」が検出される。津波に襲われた痕跡になる。

副葬は、太刀,中柄(矢の先),マキリ,漆器,ガラス玉,古銭,,鏡,鉄鍋,鉄製針,ナタ,鎌,そしてキセル
特にニンカリ…これも四点あるが、数の少ない1640年より前では未検出。
墓の数が少ないのではっきり言えないが、ここでのその出現は1640年の後になる。

さて、これらの実績を踏まえ、下記引用をしてみる。

「墓址の検出数23基のうち、性別を副葬品から考古学的に判断すると男性が14、女性が7、不明が2、人骨から人類学的に判断すると男性が12、女性が5、不明が6である(表1)。」
「また、両者が正反対の結果を占めず事例が2例ある(GP006,GP012)。これには双方に解決すべき問題があることから、本報告では両方を併記するにとどめた。」
「人類学的な性別判断の問題点としては、未成年人骨の場合は本来男性である女性的形質が強く表れている可能性があることである。また、考古学的な問題点は、副葬品の種類による性別判断基準がいまだ確定していないことである。」
「ただし、墓坑構造と埋葬形態は様々な組み合わせが考えられ、実態はより複雑かもしれない。例えば、明治期以降の聞き取り調査によると、キナで包んだ遺体の上に副葬品を置き、さらにそれらをキナで包み、木棺・木槨構造の中に入れることもあるという(バチラー1995)。これらを鵜呑みにはできないが、あらゆる可能性を考慮して判断する必要がある。」

「有珠4遺跡発掘調査報告書」 伊達市噴火湾文化研究所 平成21年3月31日 より引用…

男性は「太刀,中柄」、女性は「鉄鍋,縫い針」らで特定…そう思われていたが、実はそうとは限らず、逆さまの結果もあるのだ。
人骨らからの検証結果と副葬らかまだ合致出来る状況では無いと言う。
これは、物証が不足したり、中世→近世で副葬の性差概念が変化している可能性まである様で、まだ検証不足と言う事だ。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/19/184606
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/12/194837
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/09/054921
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/15/141716
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/21/050255
似た様なもんは幾らでも…
これでどうやって、本州文化とアイノ文化との異差が解るのだ?
と言う訳で、各文献共に目立つ部分には「アイヌ文化期の墓」…こんな表記をしている。
ズバリそうですとは言えぬのだ。


ところで、まさかここでジョン・バチェラーと出会すとは。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/01/223305
我々的には、疑惑の人物だが…


話を本題に戻そう。
この報告書では…
①墓穴有り
②墓穴無し

①の場合…
a.木棺や木枠を伴う
b.布で包む
c.素堀り
これらに層別される。
これらがどのような文化,風習と結びつくのかは、まだ検討の必要有りと結んでいる。

まだ、謎なのだ。


参考文献:
「有珠4遺跡発掘調査報告書」 伊達市噴火湾文化研究所 平成21年3月31日