ゴールドラッシュとキリシタン-26…「院内銀山」は全国区、そしてそれを支えるネットワークが出来るのは必然

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/06/203305
前項をこれとして繋げてみよう。
よく言ってる「鉱山は全国区」「キリシタンネットワーク」…
江戸期で士族は約1割、概ね我々の先祖は百姓衆となり、もっとも多いのは農家だろう。
土地や作業時期に拘束されるので、関所を潜るネットワークなぞ、にわかには信じられないかも知れない。
いや、そんなこたない。
既に江戸初期で全国区なのだ。
以前もこんな独り事としているが…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/07/24/080958
基本的に身分証明する手段のない昔、何をもって相手を信用するか?
当然人脈伝いに「○○さんの紹介なら大丈夫」となっていた。
これは商人や大名ですら共通だろう。
でもな…となる前に物証を。

では、「院内銀山異人館」のパネルを引用してみる。
ここは写真NGなので、スマホでメモる作業にて一部を書き移したので、これに各出身人数がついた日本地図があると思って戴ければ。

「元和3年(1617)の銀山住民1961人の出身地。」

「全国から院内銀山に人が集まっていた事が分かる。なかでも備前国(岡山県)が402人と突出している。院内の製錬技術者は鉱山が盛んな中国地方の出身者が多く、商人は伊勢・京・大阪出身が多かった。」

「このように、院内銀山は日本全土にわたる技術・人・経済の流動のなかで勃興した"全国区"の鉱山であった。」

以上である。
これは、阿仁鉱山とも連動していて、北陸や中国地方の出身者が多かった模様。
パネルの本文と地図を見れば一目瞭然だが…
では、出羽,陸奥以外の出身人数の多い所…
備前…402
伊勢…180
加賀…104
越前…58
京 …56
大坂…54
備前は圧倒的。
これは前項の大籠も製鉄絡みで中国地方らは指摘あったかと。

では遠隔地は?
例をあげる…
対馬…5
薩摩…5
大隅…1
土佐…1
紀伊…14
etc..
さすがに、対馬や薩摩,大隅らが居ただけでも驚愕せざるをえない。
確か、来てない国は四ヵ国。
蝦夷地、淡路、出雲、肥前だったか。

詳細は「院内銀山異人館」を是非訪れ確認頂きたい。


しかし実は、まだまだなのである。
バテレンポルトガル,スペインが多いのは知れた事。
当然都会、西国には一定数の西洋人も居たハズだ。
しかし、まだ居る。
では引用…

寛永元年(一六二四)六月三日、十一日と二つの大きな殉教のあと、九日目の六月二十日には現在の雄勝郡寺沢の信徒十五人が久保田城外で斬罪に処せられた。その名は「切支丹鮮血遺書」に、ヨハネ馬井六右衛門(耶蘇会修道士)~中略~シスト嘉右衛門(朝鮮人)、その妻カタリナ、~中略~と、なっているが、別記録には、~中略~朝鮮人嘉右衛門、その妻の朝鮮人、~中略~となっている。ここに朝鮮人夫婦の名があることは注目すべきであると思う。当時藩内の鉱山に入っていた朝鮮人は他にもあったことであろう。仙北郡雲沢村坊沢金山(現角館町)のごく古い坑道から、先年朝鮮人の煙管が出ている。」

「秋田切支丹研究 雪と血とサンタクルス武藤鉄城 (有)翆楊社 昭和55.6.1 より引用…

引用文中の「中略」は、日本人のリストになっているので割愛した。
海外、朝鮮半島から渡った夫婦が居た様だ。
さすがに渡航経緯は解らない。
しかし、よく考えて戴ければ、江戸期と違い織豊期は基本往来が割と自由であろうから、何らかの手段で入国し、堂々と渡航してきた事を示す事が出来たと言う事だろう。
なにせ、鎖国政策が推し進められるのは江戸期。
単純に、その前に入国すれば可能ではある。
こんな感じで、鉱山や切支丹の分野はかなりグローバル。
関所通過はお手のものだっただろう。
何より鉱夫である証明さえ出来れば、増産を目指す鉱山では人手が欲しい訳で。
友子制度と言う「身分証明制度(&互助制度)」も需要や出来る必然があったんだと考えられる。
通常の百姓とは違い、鉱山を渡り歩く事は可能だった。
そりゃ藩の経済的にはドル箱ですので。

この様に、鉱夫のネットワーク、商人のネットワーク、大名のネットワーク…
これらが絡み合い、需要に合わせ身分証明制度に迄拡大したり変遷する様は想像出来よう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/07/01/061623
これも、ある意味、地元の口コミと言うネットワーク。
随分あっさり移動出来、しれっと北海道入りして財を稼いだ伝承は地元には残っている。
実際はこんな所なんだろう。


さて…
ぶっちゃけだが、鉱夫は選択して就けた職業。
高収入の代替で、過酷な労働にはなるが。
故に鉱山千軒町は賑わいを見せ、周囲の山村とは別世界に見える程活気があったのは概報。
当然中には、切支丹宗門黙認前提で就職した切支丹も含まれる。
この手の話になると直ぐに弾圧だの迫害だの、特に半島が絡むとその手の活動家紛いが湧きがちだが。
だが、彼らは何ら恥じる事なく堂々と顔を上げて幕府政策と戦う為殉教してる。
これに可哀想だのと言う「感情」のみで語ろうなどと言うのは、神の元に召されると言う彼らの尊厳に傷付ける事になるのをお忘れなく。
歴史は一時の感情で語るものではない…これが筆者の心情。
そんなものより、こうならぬ様に、教訓を取り出すのが、現代の我々に課せられた仕事だろう。
そこに至るまでに、色々な選択肢はあったのは間違いない。
それを忘れてはいけない。

身分証明制度として、人脈でのネットワーク構築は…
必然なのだ。
それが、ある理由により、他のネットワークに変容する事はあり得る。



参考文献:

「院内銀山異人館」展示パネル

「秋田切支丹研究 雪と血とサンタクルス武藤鉄城 (有)翆楊社 昭和55.6.1