この時点での公式見解-36…旧旭川市史にある「旧土人保護法」が制定されるまでの経緯と背景

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/28/203440
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/07/133243
ここを前項としよう。
二つの前項では「教育創成期の状況」「労働環境の変遷」、これら二つの背景を報告した。
ここで取り上げるのは「旧土人保護法」に至るまで。
実はこの項は「近文コタンの土地問題」への布石で記載するつもりで学んでいたが、巷の話とあまりに違う上に長い。
独自で報告すべきと考えた。
以前より公言しているが、筆者は「アイノ文化」には全く興味が無い。
むしろ何故そこに至るのかのプロセスが知りたい「だけ」である。
よって近世,近代を学ぶつもりは全くなく、江戸期迄で止めておくつもりであった。
行き掛かり上、しょうがないと言うのが本音である。

では、いきなりまず明治に入って直ぐの背景から。


「明治の新政府となるや場所請負制度の弊害あるを認めて明治二年九月、これを廃し、従来の運上金の代りに一般人民より海産税を直納させることとする。」

「新政府は更にアイヌの保護に施設するところが有ったが何分和人移住の激増には、さしも無尽蔵の宝庫と謳われた天然資源もたちまち底をつき、文化知識の相違はついにアイヌは全く生活上の窮地に陥る、開拓使ではこれを憂えて九年以後、鹿猟規則を設けてその濫獲を防ぎ、十一年には十勝と勇払の一部とでアイヌの外、鹿猟を厳禁、他の地方でも一般の鹿猟には制限を加えたがアイヌにのみこれを許し、鹿猟税を免じ、仕掛矢や毒矢を禁じた後は銃器を貸与、年々収穫した鹿皮の十分の二で年賦償還させ、なおアイヌには弾薬等の便宜を図り、操銃法を教える。それでも大勢の赴くところ、益々減退するので、アイヌが主食にするものの外は一切とることを厳禁にするに至る。ついでに諸川に於ける鮭鱒の禁漁も止むなきに至り、アイヌはここに漁猟の生活を捨てて農耕その他に移らねばならぬこととなる。」

旭川市史 第一巻」 旭川市編集委員会 昭和34.4.10 より引用…

まず、ここまででの反論である。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/07/133243
江戸期に既に資源枯渇が起こってると他の章で言っているのだが。
労働環境的視点なら、
①旺盛な需要対応…
②労働者側の嗜好変化(食料→贅沢品)…
③労働者確保の為の「下請け化」…
④枯渇する資源…
⑤出荷量確保の為の「企業化」とブラック経営者登場…
⑥新シヤモ登場…
ここまでが幕末迄の背景。

この辺が「仕込み」と言わざるを得ない。
背景を探るのは、こう言う事が起こるので重要なのだ。
更に、鹿皮を売って償還させた=主食を得る目的だけで鹿狩りをしていた訳ではないと言う事だ。
だからと言っておる。
アイノがSDGs?…「交易の民」と言う設定を外さなければムリなのだ。
現実的には、狩猟した物品と交換して生計を立てる事になる。
ここで交換するものが食べ物ではなく高価な物へ移行する段階で不可能。
彼らにも高価な物を飾り、アクセサリーでお洒落をし、旨いもんを食う権利はあるのだから。
ついでに…
狩猟だからと言って、直ぐ短絡的にアイノ集団とマタギをくっ付けようとする方々がいるが…
前述の通り、アイノ集団のヒエラルキー末端に居る方々が鉄砲を得るのは明治の貸与から。
マタギ戊辰戦争に参戦していて幕末前には銃器はマスターしていた。
一応、寛文年間でシャクシャインやハウカセが鉄砲を持っていた記述はある。
しかし、労働者階級が狩猟で使う程広まってはいなかった背景が垣間見える。
アイノ集団とマタギでは、宗教も山言葉も伝書も全く別物。
ここを押さえる必要はある。

さて、次…

アイヌはこうして漁猟生活を捨てて他に転ずるの外なくなったが、その性情よりやや適する職業としては一般に農耕の外なく、開拓使では希望者に家屋や農具・種苗を与え、指導員を派して指導する。土地も明治五年、和人同様に所有権を与えたが、何分にも未経験のこととて土地所有の観念に乏しく、ややもすればわずかの酒食の代償として之を失うので、十年、北海道地券発行条例第十六条で、~中略~アイヌ所有地はすべて表面上の官有地として使用収益さすることとする。」

「この規則は(筆者註:明治)三十二年、旧土人保護法の出るまで行われたが、年月を経るに従って係役人が変わり、次第にこうした沿革が忘れられて普通の官有地と誤認し、一般和人に払い下げるという弊害まで起きる。」

旭川市史 第一巻」 旭川市編集委員会 昭和34.4.10 より引用…

ここでの中略部分は、北海道地券発行条例の条文となる。
さて、ここで二つ目の反論。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/07/133243
上川アイノ集団は出稼ぎまでして石狩川河口付近まで「働きに」行っていた。
これで性情悪く怠惰と言えるのか?
筆者は言えないと考える。
何故個人間の差と考えないであろうか?
これがたまに筆者が言う「ナチュラルdis」。
各文献らでちょくちょく見る事で、端から未開であると言わんばかりに一括りにしている。
労働環境変遷を見る限りでは「普通に働く人々」にしか見えない。
ましてや、幕末迄の「新シヤモ」は普通に文字やそろばんを駆使し暮らしていたと考えられる。
加賀屋文書にある「仁助」を見ると良い。
手代までのしあがっていた。
その裏付けがこれだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/28/203440
そんな怠惰な集団なら、たった一代程度でバイリンガルなんか成れるハズなかろう?。
教育の普及で、大正期には学門も追い付く。
先入観で劣っているなぞ、それこそ「差別」なのだ。
仕事をやる気の有無…
成功,失敗と言う状況の有無…
経済力の有無…
それこそ「個人の背景差」しか無い。
自ら先に書いているではないか。

本題に戻そう。
これらは、所謂和人に簡単に売れなくし、給付された土地の地権者保護するセーフティネットと見えるが如何であろうか?

しかも瓦解していく様は、制度上の問題ではない。
運用上の地方官僚ミス、又は、担当者の意図した拡大解釈…と言えるのではないであろうか?
これは全くの行政の不始末。
実は、このセーフティネットの他に各種保護施策が挙げられている。

第一段階
・労働に対し、妊婦の使用禁止
・給与手当の額の設定
・支払監督は開拓使がおこなう
第二段階
・困窮で養育不能な出生児への玄米支給
・老人,幼児への冬季生活資料補助
・死亡弔慰金の下付
・鰥寡(筆者註:カンカ,未婚男女)・孤独・遭難者・貧困者の救済
・堕胎禁止と取締制,連帯責任設定
・官医の巡回,養育法指導と無料施薬

これらを行ったとある。
これは開拓使期より、三県期へそのまま受け継がれ、後に道庁にも引き継がれるが、明治二十三年限りで経費的理由で立消えになったとの事。


さて、次…
経費的理由である以上、各種開発を同時進行する道庁単独での対応に限界が出てきた。
そこで明治32年帝国議会により「旧土人保護法」設定に至る。
その条項を要約しよう。

1条
農耕者又は希望者への土地の下付
2条
下付した土地の所有権変更制限や課税方法の設定
3条
開墾しなかった場合の没収規程
4条
農具らの貸出規程
5条
病気,怪我での救済規程
6条
仕事が出来ない各種条件への救済規程
7条
貧困者の子供への就学補助規程
8条
4条の費用捻出規程(基本旧土人共有地収益より捻出し、不足は国庫)
9条
土人用部落として設定された場所への小学校の設置
10条
北海道庁長官が旧土人共有財産管理を行う規程
11条
保護法施行により警察令発布と罰則規程

付則は省略される

北海道庁長官は旧土人保護法に対し、警察力を持ってその管理を可能にしており、保護を怠れば当然罰金や禁固刑に処する事が可能…
なんと手厚い…(驚愕)

但し、この法律施行後、安価の土地の貸付らで地主として働こうとしない者らも現れ、逆に借りた者が他者に使用権転貸し利鞘儲けらが発生。
なぬ…
取り敢えず…
何故「旧土人保護法」が制定されたか?
ここまでの背景はこんな感じで記載されている。
3条には、開墾しない場合、15年で没収される事になっている。
恐らくそれで、地主として土地の貸出をしたのだろうが、なんだこれは?


さて、ここまでの経過を纏めてみよう。

①江戸期の場所請負制での歪みや資源枯渇が発生
②明治で直接租税に改めた
③移住らで濫獲ら資源枯渇が「拡大し」規制を掛けるが、歯止めが掛からず
④資源回復の為、全面禁漁化
⑤開拓者同様に農耕を促す保護施策を施すと同時に土地の支給を行う
⑥土地所有権を全ての人に解放
⑦一部で支給地を売却する者が現れる
⑧生活困窮が顕著になり、セーフティネットとして土地売却に制限をつけた
⑨その他のセーフティネットを実施
⑩行政の不始末で条例がなし崩しになる
セーフティネットが経費的理由で立消えする
⑫「旧土人保護法」施行

これが旧「旭川市史」に記載された旧土人保護法に至る経緯と背景。
巷で言われる「土地の収奪」とは、どの時点の事であろうか?
そして、ここには出自による属性の違いの要因は無い。
元々はご覧の通り、江戸期までに入って開拓や農耕を始める者への救済から始まる。
この過程で、真面目に開墾し他者から使用権を借り農地拡大する者と、貸付し貧困化する者とに分かれる様は見える。
後に、旧土人保護法に、賛成する者と反対する者が出たのは、
土地を自ら運用する者…
土地を売りたい者…
の差になってくるのだ。
この差に出自属性が全く関係ないとすれば、昭和30年代位迄の認識は、個別の行政訴訟の範疇だったんだろう。
これは、セーフティネットの運用に対するリアクションの差として、
代議士…
地方官僚…
土地を売りたい者…
土地を自ら運用したい者…
それぞれの立場でどう考えたか?
それぞれの視点で読み解く必要がある。


但し、どう読み解いても大問題が残るのだ。
これら経緯,背景を勉強しない議員が「国会議決」「法制化」を終了ている。
そして、立法府も行政府も、これらを知っている。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/26/174417
知らなければ、こんな回答はしない。
つまり「グル」だと言わざるを得ない。


一応、書いておく。
まぁこれら上記は我々の「私感」であるし、道外人は北海道における参政権を持ってはいないので、何の影響力も無い。
但し、某団体の要求には「自治権の要求」らもある。
一般の方々は、某団体の要求が肥大化するに連れ、自分達の自由に制限が掛かって来るだろう。
至極極論ではあるが…
そんな中、自分の笑顔でいる子や孫に
「あなた方はヒエラルキーの下部なので自由が制限されるのよ」…そう言えるのか?
事態を先送りしてきた、先送りすると言う事はそういう事ではないのか?


さて、元々の報告事項は別。
我々は勉強、勉強、また勉強。




参考文献:

旭川市史第一巻」旭川市編集委員会 昭和34.4.10