砂金&水銀は「様似」だけに非ず…旧「旭川市史」に記された「旭川」のポテンシャル

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/16/201849
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/02/192546
この2つを前項としてみよう。


実は旭川では昔、ペーパン水銀鉱山と言う水銀鉱山があり、発信者のお母様がそれを知っていたと言う話を伺った。
様似でそんな話を学んだばかりなので、改めて旧「旭川市史」より、金や水銀の記載がないか確認してみる事とした。
結論からすると記録は薄いながらある。


旭川の地下資源は取るに足らないものばかりだが、神居古潭の蛇紋岩に関連して石綿・クローム・ニッケル・水銀等の鉱床がある。また現在の神居古潭の砂金沢をはじめとして各河川には砂金が採れたものである。砂金沢では最近まで簡単な方法で採取していた。」

旭川市史第一巻」 旭川市編集委員会
昭和34.4.10 より引用…

この他、江談別町に鉄鉱床と神居古潭周辺に蛇紋岩に関連した泥ニッケル鉱の採取をした様だ。
但し、近代産業としてペイする程大規模開発にまでは至らなかった模様。
その辺は様似町同様である。
だが、神居古潭付近で砂金伝承や水銀の話があるのは間違い無い。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E7%B4%8B%E5%B2%A9
蛇紋岩は、生成される段階で鉄鉱石とに分かれるとあるので、鉄鉱床も合った事は辻褄が合うのだろう。
又、風化し易いともあり、風化段階で内部に取り込まれていた成分が露出するので、金を含むならば砂金も…
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同書にある地質図。
ペーパンは「米飯」。
旭川の東、「上米飯山」からは「ペーパン川」「牛朱別川」が流れ出し、石狩川旭川で合流の上、「神居古潭」へ流れ込む。
そして「上米飯山」は日高系と…
水晶のモチ石に砂金がくっついている話は様似でも…と、言う事か。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B1%85%E5%8F%A4%E6%BD%AD
神居古潭はおう穴群で有名らしいので、流れてきたモチ石もこの辺に引っ掛かった?と邪推してしまう。

では、産業としての記載は?
これが無い。
と、言うより鉱業としての記載そのものが無い。
ここもある意味様似同様。


さてでは、アイノ伝承は?
市史を見る限りでは、金に纏わる話が無さそうである。
が、不思議なのは、やたら外部から攻撃されている話が多い事。
山丹の来襲から、十勝,胆振ら。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733
まぁ実際、シロシを指標とすれば、十勝からの流入はあり得そうである。


なら、他の痕跡は?
実は、神居古潭は総数二百余りの竪穴住居群がある。
縄文~擦文と考えられ、ストーンサークル群やチャシ跡四ら、その周辺では遺構が残されている模様。
特に変わったもの…
神居古潭郵便局付近
35×31.5×8cmの石臼
・旭神町
鎚・甲冑・日本刀・鍔数枚
正式発掘調査ではない様で、時代背景は不明。
だが、石臼は遠野らでも金鉱石の粉砕に、鎚は当然採掘に使われる。
抹茶の粉砕らで鎌倉以降の伝播と話をお聞きしているので古い物であれば、鎌倉期以降に本州から人が入り込んでいた可能性が出る。
この場合、仮に採金と関わりが無いとしても、抹茶を嗜む僧侶らの存在が浮上する…寺社痕跡となる訳だ。
武家や僧侶の痕跡。
確かにここでは、ゴールドラッシュでの金山開山の話も無い。
とすれば、鎌倉→江戸初期迄の何処か?の可能性が出てくる訳だ。


如何だろうか?
砂金も水銀も揃うのは間違い無し。
そのポテンシャルは未知数。
しかし、状況証拠的には、鎌倉~室町辺りで採金していてもおかしくはない。
その場合、伝承無し→採り放題の可能性も。
道内には、こんな場所はまだまだあるのかも知れぬ。
また、他の地域もゆっくり確認していこうではないか。





参考文献:

旭川市史第一巻」 旭川市編集委員会
昭和34.4.10