この時点での公式見解40…平取町史に記された「アイノ文化が一夫多妻」である理由

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733
これを前項としよう。
平取…
このブログを読んで戴いている方は、何故この地が特別な場所なのか知ってらっしゃるだろうか?
アイノ文化の神「オキクルミ」がここに降臨し、矢で山を割いたと言う伝承があるからだそうで。
故に平取アイノは他から一目置かれていたと「平取町史」にある。
さて、では少し平取町史から風俗について書いてみよう。
アイノ文化は一夫多妻であったと言う。
明治に於いて「妾を減らす」等、開拓使からの指令があったと言うので本当なのだろう。
その理由が平取町史に記載されていたので報告する。
一応…
その記載は、民俗性の違いとして江戸幕府同化政策の中にあり、結構批判的に書かれている事を事前に。

「前略〜人倫を諭すといってもそれは和人のモラルを彼等に要求することであった。」
「すなわちアイヌ民族の一夫多妻性は、一般に無統制な荒淫もしくは多数の妻妾を蓄えることによって、自己の能力を誇らんとする虚栄心ないし子供に対する欲望から出発しているものと考えられがちであるが、そのような不倫なものではなかった。これはアイヌ社会に対偶婚の行われていた結果によるもので、『蝦夷島記』に「蝦夷男死候へば、女房己が親類兄弟の方へは帰らずして、夫の近き親類の方へ行き、男の近き親類の女に成り申候故、親類広き男は一人して女房をあまた持申なるもこれあり候由」とあるのは、これをものがたるものであり、すでに心ある探検者にはその習俗が知られていたのである。」

「往時における平取アイヌの妻の座についても、妻が長男の嫁の場合に夫が死亡したときは、寡婦は再婚せず遺産を相続して子供を育て、父系の宝物をその長男に伝え家系を絶やさない義務があった。しかし、強いて再婚を望む場合には、夫の遺産に対する権利一切を捨てねばならないものとされた。また長男以外の妻が寡婦となったときは、夫の結納品の出所である父系宝物の相続者である、長兄との結婚が優先的であった。もしそれに相当する者がない場合には、適当な親類の中か寡婦の相続者を選ぶのである。けれどもこの寡婦の相続者を選定するのはその夫で、夫が自己の臨終を予感すると、自分の長兄のあるときはその長男夫婦、長兄のいない場合は適当な意中の人を親戚の中からあげて、その夫婦を臨終の枕辺に呼ぶ。」
「かくて臨終の枕元で夫は寡婦となるべき自分の妻の後事を、妻の相続者たる男子夫婦に託して心置きなく逝去する。したがって長兄或は親戚中の扶養力のある男子は一夫多妻となるのである。」

平取町史」渡辺茂/河野本道 平取町 昭和49.3.31 より引用…

その上で、この章の担当者である渡辺博士はこう閉める。

「このようにアイヌが多くの妾をもつということは、裕福な和人が痴情的征服欲から妾を蓄えるものとはちがい、亡弟の後事を見てやるという深い愛情の発露から生じたものであり、また当時のアイヌ社会の労働力を根幹とした経済性から発生したものであった。それを和人的な感覚感情をもって一律に改変するというところに、民族性の破壊に繋る大きな矛盾があり、表面はどうあれ内実は喜んで心服するには至らなかったものがある。」

平取町史」渡辺茂/河野本道 平取町 昭和49.3.31 より引用…

以上である。
さて、これが一夫多妻が出来る理由。
民俗性なので良し悪しはない。
この様なものであったと理解して欲しい。

ただ、この渡辺博士の指摘はいささか偏りがあるようにに見えるのは筆者だけであろうか?

理由…
①何せ「妻」を相続物として記載している。
基本的に一度婚姻し、夫側に行った段階で妻に自分の行く末を決める選択権を失う事になる。
この時の新たな嫁ぎ先の状況を伺い知れるものはある。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/01/223305
イザベラ・バード日本紀行にあるベンリクゥの母。
絶対的な権力を持ちバードはあまり好意的には描写していないが、仮に夫が遺言すれば、あの様な状況の下に再婚させられる訳だ。
更に史書らには農耕らは女性の仕事だった事は記載がある。
労働力として使われた要素も見逃してはいけない。
渡辺博士は「相続物」と表現した上で「愛情の発露」と言ってしまっているので。
現代この表記をやってしまえば、フェミニスト界隈から抗議が殺到しそうだが。
まぁこれも当時の風習を記しただけで、現代的な良し悪しで判断してはならない。
そんな風習だったと言う事だ。
②幕府から、番所役人や場所役人に対し、妻妾を取らぬ様に触れが出ていたのは各史書にある。
同時に、アイノ文化において女性が家を持ち、夫の選択権をある程度持っていたのも記載ある。
つまり、ある程度女性側も役人に娶られる事を望んだ証左でもあろう。
それはそうだ。
土人「新シヤモ」となれば、他の人々より好待遇を約束される。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/11/143552
一族の権力者と再婚するも、生活の安定を考えたものなら、役人や新シヤモと再婚するもまた、生活の安定化の為。
この女性達の選択を非難する事は出来まい。
が、アイノ側が快く思ってはいなかったのは言うまでもない。
③②に付随して…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/12/203509
女性達が混血を望んだと吉田菊太郎翁は「アイヌ文化史」に記載する。
一度、酒で身を持ち崩した経験を持つ吉田翁なら、そう書かざるをえなかったのかも知れない。
現実、権力を持つ藩や幕府の役人やパタパタ働く開拓者の若者と、酒に溺れた自らを比較すればそう考えるだろう。
古いアイノ風習を止めるべく、女性を権利拡大に奔走したのもまた吉田翁達自身でもある。
ただし、上記風習は、吉田翁が言う「古いアイヌ」に他ならない。
吉田翁らはそれらを努力で克服した。
アイヌ文化史」にも各史書にも、5〜6町歩の開墾を成功させた強者も居る。
吉田翁の言う「新しいアイヌ」はそんな人々だ。
④江戸中期、林子平が描いた蝦夷衆でも格差社会だった事は伺い知れる。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/04/224207
こんな中、少しでも上流に上がろうとするのは当然の事。
古い風習であろうが、現代に近い感覚であろうが、それは変わらない。
その為に額に汗し知恵を絞り働くのは同じ事。
そんな中、幸せを求め相手を探す女性を他者が、どうこう言えるものでもない。

以上、ツラツラ書いてしまったが、この辺で。
あくまでそんなものだと捉えて欲しい。
労働力が集中するので長兄に財が集中するのも当然か。
風習に良し悪しなし。
ただ、これをどう見るかは読者の皆さんにお任せする。
まぁ吉田翁らが、これを破壊しながら女性の権利拡大をしていったのは、改めて書いておこう。






参考文献:

平取町史」渡辺茂/河野本道 平取町 昭和49.3.31