「旧土人保護法」の対象になった人々とは?…松浦武四郎が記す、人々の書き分け

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/08/120652
松浦武四郎の「蝦夷日誌」より、こちらに繋げていこう。
関連項はこちら。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/08/204935
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/26/174417
「旧土人保護法」の対象者となった、「土人」と表現された人々とは?

前々項にある様、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/03/193625
土人」に「アイノ」とルビをふった部分は、3箇所しかない。
では、彼はどんな人々を土人と表現したのか?
実は、ハッキリ書いてはいない。
が、幾つか書き分けをしてる節はある。

解り易い所で…
「前略〜是ポロマベツ〔幌満別〕の昔しは越道ありしと。右少々上りシユマウシ(小川)、また少し上りヘタスヌイ(左川)、シイニカンベツ(右川)、共に源サルゝ山と向背す。源椴松・樺多く、魚類鱒・鮭・鯇・多し。川筋人家多く、〜後略」
「アベヤキ(小川、夷家)名義、アベは火也、ヤキは蝉也。」
「先年に異りて、昆布小屋軒を併べて〜後略」

蝦夷日誌(上)」 松浦武四郎/吉田常吉 時事通信社 昭和37.1.15 より引用…

これ、全て幌泉領での表現である。
人は「土人」としているが、「住居」については人家・夷家・昆布小屋らと書き分けられる。
他の場所も含めれば「猟小屋」「鰯小屋」「出稼者家」「長屋」等。
又、様似領では、「他の地域に比べて人家が小さく、貧困?」とも記載があるので、大小を表現している訳でない。
勿論、「○○小屋」に関しては、一時的等で住んだり、漁師機能らに特化しているから見分けがつくのだろうが、何をしてそう書き分けしているかが不明。
因みに、白老,平取,様似らは人家が多いので、その周辺の蝦夷衆の住居を「夷家」としている訳ではない。
むしろもっと辺境?的な、あまり人が通らなそうな所に「夷家」がある様だ。
だが、そこに住む人はほぼ「土人」として一括にしている。
これは、東西蝦夷地とも同様の傾向。
土人」を区別した場合は「十勝土人」の様に、住む土地や出身地らを頭に付けている。
また、この時代、あちこちで畑があり、地域に依っては「土人、好んで畑作す」と言う感じ。
幕末で最早、畑地は広がっている。
つまり、これで区別している訳でもなさそうだ。

と、言う訳で…
では、何を持ってして「土人」としているのか?を書いていると思われる部分を引用してみよう。
東西蝦夷地ではこの時代、活況さが、西>東で差があったと記載される。
西蝦夷地は小樽と石狩の境辺りは肥沃なようだ。

「此處に去秋移りし永島・中島・中川・葛山等いふ在住人の畑地多く見る。土人の話に、大根・蕎麦・粟・黍等よく出来たり。」

蝦夷日誌(下)」 松浦武四郎/吉田常吉 時事通信社 昭和37.1.15 より引用…

秋にその辺に移住した「永島さん等」も土人としている。
実は、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/22/200203
商人や金堀衆、出稼ぎ労働者らを松前藩では「旅人」と表現して、新北海道史なんかに記載がある。
松前藩は「旅人」に対する米の準備は考慮しておらず、基本全て持ち込みと当所されていた様で。
勿論、「旅人」は租税対象、蝦夷衆は非課税だったのは、上の項の通り。
であれば、「土人」とは、「旅人」に対する対義語ではないか?と考える訳だ。
実は、「蝦夷日誌」では、運上屋,会所周辺の状況を各年代の「改」(恐らく宗門改)から宅数と人口が書いてある。
宗門改は、謂わば当時の戸籍。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/05/04/192603
これで身分証明せねば、異教徒ではないという証明が出来ない。
これに
その地の寺の宗門改に記載される者が土人、記載されない者は旅人…
ハッキリ差は出てくる。


まだ、西蝦夷地の濱益で気になる事がある。
群別の手前のテキサマと言う地、「近年まで夷人有し由。」…
やはり、土人と夷人を使い分けしている様なのだ。


最終的には、松浦武四郎がどんな定義をしていたのか?知る必要があるが、「旅人の対義語として土人」…これは、当時の状況を鑑みれば、それなりの蓋然性があるのではなかろうか?
松前藩は幕府から再三に渡り、全時代に置いて「宗門改」の徹底実施を指示されている。
直近最大の問題であった事は概報。
「身分証明」と密着するのでやらざるを得ないのだ。
人手不足で運上屋,会所が、兎に角人集めをし、出稼ぎだろうが土人だろうが躍起になっていた時期。
土着し「身分証明」された者なら、最もウェルカム。
因みに、土人の人手集めの仕事をしていたのは、役土人の「小使」。
少々頭の片隅に置いておいて戴ければ、後の報告がし易いので、お願いしたい。






参考文献:

蝦夷日誌(上)」 松浦武四郎/吉田常吉 時事通信社 昭和37.1.15

蝦夷日誌(下)」 松浦武四郎/吉田常吉 時事通信社 昭和37.1.15