「錬金術」が「科学」に変わった時…全てを網羅した「デ・レ・メタルカ」の出版

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/17/162536
さて、こちらが前項。
辰砂の話や今迄のゴールドラッシュらの話で、少しずつ我が国における鉱山や鉱物に対する捉え方を学べてきてはいる。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/16/192303
どちらかといえば錬金術の延長、もしくは職人技術的な捉え方をされていたと言えるかも知れない。
では世界はどうか?
実は、西洋では概ね錬金術→科学に変わる瞬間が解っている様で。
では、引用。

中央ヨーロッパ最大の鉱山地帯の中心地ボヘミアのヨアヒムスタール市の医師長となったアグニコラは、過酷な環境で働く鉱夫たちの怪我や病気の治療にあたっていくなかで、次第に鉱物や鉱山そのものに興味を覚え始めた。ついに医業の余暇の全てを、鉱山や精錬所を訪ねること、鉱山、採鉱に関する古代のギリシャ語文献やラテン語文献を読むこと、鉱夫たち自身の経験を聞くことに充て、これらの知識を総合して一書にまとめたのが本書である。」
「12章からなる本書は、第1章では序論として鉱山の理論と実践一般、第2章では採鉱についての鉱山師の心得と採鉱、第3章は鉱脈について、第4章は鉱区の測量法、第5章は採掘、第6章は鉱山に用いられる様々な道具、器具と機械装置について、第7章では鉱石の試験や試金法、第8章は選鉱法、第9章は冶金について、第10章は貴重金属の精錬法、第11章は金と銀の精錬法、第12衝撃では塩、ソーダ、明礬、硫黄、ガラスなどの製法について述べられている。このように、極めて組織的、網羅的に鉱山の技術について書かれており、本書によって初めて体系的な鉱山学、金属学が樹立された。以来200年以上にわたり鉱山学、金属学の教科書として用いられ続けた。また17世紀には中国へ伝わり、1637年に明の宗応星が著した『天工開物』に影響を与えたと言われている。天工開物は江戸時代に日本に伝わり、日本の技術に大きな影響を及ぼしていて、例えば佐渡金山の開発など日本の鉱山、金属技術にも影響を与えている。」
「鉱山は当時の先端技術集約型産業であったため、あらゆる先端的な技術が惜しみなく用いられていた。本書では、水力利用の揚水装置や排水ポンプ、馬や風の力を応用した坑道の通風換気装置や溶鉱炉用のふいごなど鉱山用機械装置の数々が、画家ルドルフ・マニュエル・ドイチュの手による美しい木版画でわかりやすく明快に力強く描写されており、当時の機械技術を理解する第一級の技術史資料となっている。」

「世界を変えた書物 -科学知の系譜-」 竺覚暁 グラフィック社 2017.11.25 より引用…

まんまズバリ。
アグリコラ(ゲオルグ・バウアー)著の「金属について(デ・レ・メタルカ)」の初版は1556年。
これを持って鉱山学や金属学が体系化され、錬金術や職人技の世界が科学になったとも言えるのではないか。
そして、これらがメキシコ銀山の精錬らに受け継がれる…家康公や政宗公が喉から手が出る程に欲しかったものの原点。
ボヘミア…なかなか怪しい位置かも知れない。

この「世界を変えた書物」は、科学の世界の変遷らを図説したもの。
アリストテレスから始まり、ユークリッドアルキメデスコペルニクスケプラーガリレイニュートンデカルトオイラー、ヤング、テニエ、ギルバート、フランクリン、クーロン、ヴォルタ、アンペールフーリエ、ファラデー、ジュール、エジソン、ベル、マクスウェル、レントゲン、キューリー、長岡半太郎湯川秀樹ローレンツアインシュタインハイゼンベルク、etc…
何処かで耳にした科学の巨人達の名前が並ぶ。
アグリコアもそんな中の一人として挙げられる。
正直、思っていたより時代が下る印象。
が、比較的遅れて来日したバテレンや商人なら、これらの一端は見ていてもおかしくはないのかも。
当時欧州で行われた鉱山技術の一端は知っていた様なので。

備忘録的ではあるが、覚えておこう。





参考文献:

「世界を変えた書物 -科学知の系譜-」 竺覚暁 グラフィック社 2017.11.25