「錬金術」が「科学」に変わった時-2…明代の総合科学書「天工開物」と研究文献にある我が国の「古代銀精錬法」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/03/28/195614
西洋の科学書「デ・レ・メタリア」…
では、東洋は?
「天工開物」かも知れない。
1637年、宗慶星によって書かれたとされ、上,中,下の3巻に分かれたこの本の記載事項は、穀類、織物,縫製、染色、穀類処理、製塩、製糖、製陶、鋳造、造船,や車、鍛造、鉱山、製油、製紙、冶金,精錬、兵器、朱墨、醸造、珠玉に及び、正に総合技術書。
実は、漢字を持ち古代から書物の宝庫であるChina、こんな技術書的なものは数が限られるそうで。
で、佐渡鉱山ら、我が国の産業にも参考として影響を与えたとされる。
また、先に発刊された「デ・レ・メタリア」の影響を受けるとか…

では紹介していこう。
序文(譯註)から(旧字体は現状に変換)…

「天地の間には、物は萬を数え、事もやはりこれほどの数があり、それら一つ一つ完全につくりあげられているのは、全く人力でできることではない。このように物事が萬を数えるからには、それについての知識は数えられたり観察したりして得るにも、果たしてどれほどのことを知り得ようか。〜中略〜ところで世間には聡明で物知りな人々がおり、多くの人々から推称されるが、しかしこれらの人々はありふれた棗(筆者註:ナツメ)や梨の話を知らないくせに、古い話に出てくる楚萍(筆者註:「孔子家語」に出てくる食べ物)をあれこれと想像したり、平常使う鍋釜の製法も知らないくせに、昔あつたという莒鼎(筆者註:「左傳」に出てくるが詳細は書いてない)をとやかく議論したりする。また書工は好んで怪物の姿を描くが、ありふれた犬や馬は描きたがらない。だから鄭の子産や普の張華のような博学者でも、べつに偉大視するほどのことはないのである。」

「天工開物の研究」 薮内清 恒星社厚生閣 昭和28.9.30 より引用…

聡明な物知りや専門家、知識人と言われる人々も、案外身近な物や一般的にありふれた事は知らないと。
何となく、思い当たる様な…
で、これが総合技術書を書いた人物の序文。
いきなり序文の書き出しから、なかなか皮肉的。

では、我々が注目している「精錬」について見てみよう。
章の標題は譯註では「精錬」だが、原文では「五金」。
これは金銀銅鉄錫の五種類の金属を指す。
ここが、China的と言うか中世的と言うか、そんな解釈がある為。

「余はこう思う。人には十の等級があり、上は王公から下は最下級の役人に至るまで、その一を缺いても社会の秩序は成立しないのである。大地が五種の金属を生じ、天下と後世に利用されるのも、その意味はやはり同様である。貴重な金属は、千里でたまたまその産地を得るのであり、いかに近くても五六百里は離れている。しかし賤しい金属は、交通の便がやや困難なところでは、必ず廣く産出するものである。黄金の上等なものになると、その値は鉄の一万六千倍にもなるが、しかし、釜、鍋や斧の類が日用の役にたたなければ、たとえ黄金を得ても、値が高いだけで人々には無益であろう。」

「天工開物の研究」 薮内清 恒星社厚生閣 昭和28.9.30 より引用…

この「人の等級」は、王,公ら官吏の階級の模様。
金属も金を頂点に銀→銅と階級があるが、そこは官僚帝国「China」。
王も貴族も経理師も将軍も兵士も居なきゃ成り立たぬ…
「ぽい」と考えるのは筆者だけだろうか?
では…
「金」…
・性質
器具に仕上げればいつまでも変化しない。
窯で熱しフイゴで吹けば吹くほどその姿を表す。
柔かくて柳の枝のように曲げられる。
その上等下等を色で分けると、七青、八黃、九紫、十赤に分かれ、試金石の上にこすりつけてみると、すく見分けがつく。
非常に重い。
採取していくと採れなくなる。
産地間が離れる etc…
・精錬法
金に他の金属を混ぜて誤魔化そうとしても銀以外でやってはいけないそうで、金と銀の合金は、
①薄く伸ばし、小片に切る
②塊ごと泥土で包み坩鍋へ
③硼砂(ホウ砂)とともに溶かす
④銀は土に吸収される
⑤残った金に鉛を混ぜて坩堝へ
これで十の等級の金が取り出せる。
で、土の中に銀を引き出せば、分離可能…
金には等級があるので、銀以外だとバレて品位を下げ、値段が下がる為の様で。
⑤の工程は「灰吹法」の模様で、水銀アマルガムについての記述は無い。
金箔の作り方もあるが割愛。
ここではやはりアマルガムでつけるではなく、下地に漆を塗り貼り付けると記述されている。
山中,川中、それぞれ呼び名が違ったりしているが、基本的には「自然金」からの精製を記事している模様。

次…
「銀」…
・性質…
こちらは鉱脈を掘る様で、目安の石から辿り「礁(銀を含む意味)砂」の層を掘るとある。
窯で熱しフイゴで吹けば火花だけ増え見当たらなくなる(著者も意味が解らない)。
採鉱に当たっては官吏のチェック(やはり等級有り)は入る。
・精錬法…
①礁砂を選別し綺麗に洗う。
②窯は土で1.5mの台を築き、底にカワラケ片と炭灰を敷く。
③窯の傍らに煉瓦の塀を立て、フイゴを塀の背後に設置する。
④窯に礁砂を入れ、栗の木炭を積み重ねる。
⑤着火しフイゴで送風する。
⑥先の木炭が燃え尽きる所で木炭追加。
⑦礁砂が溶け塊状になるが銀と鉛が分離していない。冷やして取り出す。
⑧別の窯へその塊を入れ、内部を松炭で取囲み着火。フイゴ又は団扇で扇ぐ。冷やすと素銀は塊に、鉛は炭の中に溶け落ちる。
⑨素銀に鉛を追加して⑧を繰り返す。
⑧~⑨の工程(灰吹法)を繰り返す事で純度を上げていく。
金には銀を混ぜられる様に、銀の場合は銅と鉛は混ぜられる。
やはりここで金同様に、坩堝に入れ加熱する事(金の⑤)で分離可能とある。
但し、銀を取り出す場合、加熱時に「硝」を入れろとある。「硝石」の事か?
殆ど日本では産出せず、火薬作りには苦労したとあるが…
加賀藩らは古土法と言う精製法で作っていたとされる。
また鳥の糞から生成される「グアノ」から作る事も出来るとか…
グアノ…確か、尖閣諸島で採れる様な…幕末の薩摩…邪推はここまで。
ここでもアマルガムの記述は無い。
むしろ、銀の項の次に付記として「朱砂銀」との記載があったりする。

「いかさまの方術師が、錬金術で人を惑わす方法の中で、特に朱砂銀には愚人は惑わされ易い。その方法は鉛を入れた朱砂と銀と等分に坩堝に入れて密封し、三七二十一日の間温めると、朱砂が銀気を吸収する。それを火に通すと至宝となる。その銀をえり出しても、形は残つているかま、本質はなくて、石ころ同然の死物である。鉛を入れて精錬する時には、火につれてぼろぼろ砕け、さらに何度と火を通すと、ほんの少しも存しないで、朱砂と燃料の代償を損するだけである。愚者は欲に迷つていまだに無知であるから、合わせてここに記しておく。」

「天工開物の研究」 薮内清 恒星社厚生閣 昭和28.9.30 より引用…

あらら…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/16/192303
金の場合は「金:水銀=5:1」。
銀の場合はまた比率は変わると思うが、鉛を入れたり長期保存は必要ないハズだが。
実際、この著者は端から錬金術として語られたアマルガム精錬を否定している様なので、やり方そのものを間違っているのだろう。
現実、この辺りで既に、メキシコでアマルガム精錬は行われている。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/17/162536
積極的にその手段を入手していた様には見えない。

さて、以上がChinaでの金と銀の精錬。
鉛を使った広義の「灰吹法」なのか。
実はこの「天工開物の研究」、発行された当時の研究者による論文がそれぞれの項目で入っており、後の時代の精錬技術の本らのと技術比較らが記述されている。
やはり「天工開物」の記載内容は割と原始的な方法と考えている様だ。
例えば、銀の⑧~⑨の部分、後の「西学大成」らでは専用の窯で、2つの排出口(底が斜めに切られる)で、自然と溶けた銀を回収出来る様な記述がある様で。
成程…
「天工開物」の記述と、江戸期我が国でやられた精錬技術も微妙に違う様だ。
そんな記述の中に、面白いものがある。
古代、我が国で行われた「銀」精錬法が古書にあるという。
「對島國貢銀記」の中の記述。

「松樹の薪を以て之を焼くこと数十日、水を以て之を洗ふ、魁は別にその率法を定む、其の灰は鉛錫と爲る。」

「天工開物の研究」 薮内清 恒星社厚生閣 昭和28.9.30 より引用…

上記、銀⑧~⑨の工程に近い。
この「對島國貢銀記」の記述、本書では10世紀頃とあるが、書を書いたのは11世紀頃の様で「大江匡房」が書いた物らしい。
ウィキの記述ではあるが、参考に。

日本書紀』によると、天武天皇二年(674年)に対馬島司忍海造大国(おしみのみやつこのおおくに)が同国で産出した銀(しろがね)を朝廷に献上したとされる。さらに朝廷は対馬島司に命じて金鉱を開発させ、文武天皇五年(701年)に対馬から金が献上された。この結果、朝廷は元号「大宝」を定めた[1]。しかしこの金の献上については『続日本紀』では、対馬現地の開発者が捏造工作をおこなったものであり、実際には対馬から金は出なかったとしている。平安時代になると『延喜式』で対馬の調は銀と定められ、大宰府に毎年調銀890両を納めるよう命じられた[2]。

実際に対馬に於いて、我が国最初の銀が産出され、後に「延喜式」で銀の納品が定められているので、産銀していたのは揺るがないだろう。
対馬銀山は主に方鉛鉱だという。
基本原理は鉛銀残渣を熱し、先に鉛を灰の中に吸わせる広義の「灰吹法」と考えられている様だ。
で、この方法だと製鉄ほどに高温にする必要は無いので窯は要らないだろう。
地炉とフイゴでもいけるか?
何せ、江戸初期辺りでのフリース船隊航海記録の記述をみると、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/17/202544
カニはカネ…
シッシッはシュッシュッ…
似たような感じ。

また、想像を広げると…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/28/205158
金田一博士曰く…
「トド松をばこの辺の蝦夷はトドロップという」
何故か?上記の様に、精錬工程では「松」と指定している。
このトドロップを知ってる人は後に「居なくなる」…

まぁ、妄想,邪推はここまで。
古技術の一端はこの様なものだった様だ。
北海道の遺構には、何故か焼土跡が多い印象。
この中から鉄滓ではなく、鉛滓の塊でも出てくればビンゴとなる可能性はあるが。
これら、精錬の変遷を研究している書物は過去にないと言われた。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/03/104946
勿論、金属を専門とする博物館でも聞いた事がある。
その時は、「一つの鉱山や専門の事象に対する研究から拾うしかない」と言われたが、それをチマチマやるしかないのかも知れないが。
あれから一年位。
技術史からのアプローチも筆者的には面白いのだ。
ジワジワと学んで行こうではないか。







参考文献:

「天工開物の研究」 薮内清 恒星社厚生閣 昭和28.9.30