「錬金術」が「科学」に変わった時-3…近世秋田の「阿仁銅山 銅山働方之図→加護山全図並製鉱之図」を学ぶ

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/05/204650
さて、古代からの技術史を学んでいるが、ここは筆者の郷土に残される「近世鉱山での技術がどうか?」も改めて学ばねばなるまい。
江戸中期〜後期までの最先端鉱山プラントが秋田にはある。
・阿仁銅山
・加護山精錬所 だ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/03/104946
前項でも触れたが、鉱山や精錬技術の変遷はあまり相対的に纏められた文献らはなく、鉱山単位や文献単位の研究書が主と教えて戴いた。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/24/181320
で、折角だかとこの「銅山働方之図」での特別展図録を戴けた。
筆者の精錬技術勉強のルーツは、院内銀山や阿仁銅山の遺構や資料館へのフィールドワークになる。
ざっとではあるが…
・阿仁銅山…
1300年頃の開山伝承があり当初は金山→銀山として稼働とされるが、正確には裏付けられてはいない。
江戸期には銅山として稼働しており、当初はその粗銅は上方へ送られていた。
・加護山精錬所…
こちらは重商主義を敷いた田沼意次への働きかけで、江戸中期に秋田県能代市(二ツ井)に建設される。
粗銅からの精錬を独占していた上方からの技術移管で、主に阿仁銅山からの粗銅を銀と銅に精錬を行った施設。
これで、久保田藩内で銅の一貫生産が可能となる。
この二施設は鉱山王国秋田の一翼を担い、経済のダイナモとして機能していた。
当然、これら技術はトップシークレットなのだが、そこは筆まめ久保田藩
江戸後期に極彩色の絵巻にして、その工程図を残した(銅山働方之図は全長8m)。
あまりの長さに、全図公開される事は殆ど無い。

では、図録からどんな工程を経て銀や銅を作ったか?見てみよう。
まずその前に…
よく聞く「精錬」とは何か?
鉱山から掘り出した鉱石は色々な不純物を含む。
聞いた話では××鉱と言われる鉱石でも5~6割の純度の様だ。
自然に産出した鉱石の中では砂金が最も純度が高いのではないか?
理由は簡単。
金が自然では殆ど酸化しないから、他の成分が酸化溶出する中で金のみそのまま残るから。これ、自然が金を精錬してくれていると考えたら解りやすいかと。
これを技術で順番に不純物を抜いていき、必要な金属の純度を上げていき取り出す事を「精錬」という。
概ね取り出す金属より貴重な金属も含むので、粗銅から銅を取り出す工程には銀を取り出す工程も付帯される。
案外、金より銀そして銅と、工程が複雑になったりする。
古代~近世精錬の手法の元が「アマルガム」。
水銀や加熱して溶けた鉛などの金属は、特定の金属を取り込む性質がある。
なので、一定の比率で金,銀を水銀や鉛に混ぜるとそれらが混ざったものと、不純物を分離可能(鉄や岩石(珪素等)は取り込まれない)になる。
例えば、水銀なら再加熱すれば蒸発し、取り込まれた金,銀だけ残る→アマルガム精錬…
鉛なら再加熱の熱加減で液化した鉛と固形の金属を分離する事が可能→灰吹法精錬…
と言う訳だ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/16/192303
で、古代に水銀をどうやって作ったか?利用したか?はこちらで。


では、本題。
・阿仁銅山…

鉱石を掘り出す。

鉱石を細かく砕き、鉱石と岩石に選り分ける。

鉱石を焼き硫黄を除去(焼上がりを「焼鉱」という)。

「焼鉱」を木炭と加熱溶解し、焼上がりから不純物の塊を取り出す(これを「鉱滓」という)。
この不純物は主に鉄やケイ素の化合物。

炉の底部には粗銅が溜まっているので、それを掻き出す。

取り出した粗銅を再加熱し、不純物を酸化し分離し純度を上げる。
ここで粗銅の純度は大体90%以上までになる。

秤量して「加護山精錬所」へ


・加護山精錬所…

米代川水運で、阿仁銅山の粗銅と藤里の太良鉛山の鉛を運び込む。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/22/102500

粗銅と鉛を炉で加熱しする(この時出来る合金を「合わせ銅」と言う)。
鉛は粗銅の約20~30%加える。

加熱を続けると、銀は鉛の中に吸収される。

銅と鉛の比重差,融点差を利用し銅と鉛に分離させて、それぞれを取り出す(これを「南蛮吹き法」)。

銀を含んだ鉛は再度炉に掛けられ、灰の上で鉛と銀に分離。
灰の中に吸い込まれた鉛と銀は分離し、それぞれを出荷。

4で取り出した銅は再加熱し、不純物を酸化させ分離。これを繰り返し精銅を作り出し出荷。

阿仁銅山の粗銅を加護山精錬所で精錬した場合、銅の0.1%程度が銀の産量だそうで。
少ない?
いや、仮に1㌧の粗銅を処理すれば、100gの銀が採れる訳だ。
少ない?それは処理量によるのでは?


以上。
これが銀山の場合は、阿仁銅山の1~3と加護山精錬所の2~5を繰り返しやれば、純度の高い銀の精錬が可能だろう。
こんな手間をかけながら、金銀銅は作られていく。
阿仁銅山の産出量は、1716年には日本一となる。
国内で使うだけではなく、海外決済にも粗銅は利用された。
当時の主要産出地は南米、スウェーデン、そして日本で、市場はアムステルダム…つまりオランダが主に仕切った訳だ。
前項の「天工開物」にも、日本産粗銅から精錬して銀を取り出したとある。
又、主要な生産品は…?
青銅に仕上げて大砲に。
欧州では中世以降、通貨として銅貨はあまり使わなかったそうで。
1854年にイギリスで鉄製の「アームストロング砲」が発明されるまで、大砲の主要な材質は青銅だとの事。
また、1878年エジソン電灯会社設立からは、電線としての用途が拡大した…これも言うまでもない。

如何だろうか?
日本は資源が無い…これは間違い。
産業革命以前の世界の需要の何割かの金銀銅は日本から産出され、世界に供給された。
手元に少ないのは、海外と幕府らの金銀銅交換レートがあまりに酷かったから流出してしまっただけ。
また、鉱脈が薄く、露天掘りではないので採掘にコストがかかり、ペイしないので掘らないだけ。
何より、今、領海,近海含めた列島内では、地下活動により生成されている。
海中鉱山を掘る技術も無い。
故に採らない。
各種技術革新が進み、現在の各鉱山が枯渇すれば…あるいは。
故に「資源が無い国」ではない。
無いと教育してるなら、それはプロバガンダと言える。

上記を見てみても、南蛮吹きの炉らを別にして、基本的な原理は「対馬國貢銀記」とあまり変わらない様な気も…
ただ、それを証明する為の「中世の古書記載」や「遺構,遺物」が途切れる。
その辺も少しずつ探して行くつもりではある。





参考文献:

「平成二十五年度第一回鉱業博物館特別展 -阿仁の絵巻がつむぐ150年前の銅プラント-
図録」 秋田大学大学院工学資源学研究科附属鉱業博物館 平成26.3月