京に続き、源流を見てみよう…九州のキリシタン墓碑を学んでみる

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/27/201921
前項は京のキリシタン墓碑…折角だから、源流を見てみよう。
当然なのだが、カトリック伝来は九州から。
「日本のカトリック」と考えれば、そのスタートは当然九州になるだろう。
何より、現物を見てみない事には何も始まらない。
「九州のキリシタン墓碑 -十字架に祈りて-」と言う文献がある。
著者の「荒木英市」氏が、研究論文らを確認し、フィールドワークで確認した墓碑を紹介している。
同書によれば、そこは流石に源流。
潜伏キリシタンらの伝承もるので、体系的に研究が進められていた様だ。
細かい分岐は別として、墓碑は概ね3系統に識別されている様だ。

A,寝棺型伏碑
半円型や切妻型(立体性が高い)の墓碑。
垂直に立てるのではなく、墓室の上に伏せる。
前項にある京のカマボコ型の墓碑もこれに当たる様で。

京に近い事例。
熊本県玉名市にある「伊倉のキリシタン墓碑」。
見事なカマボコ型で、側面(平坦部)に「花十字」の文様で無銘。教育委員会の説明板によれば、16世紀中頃のものと推定される。
こんな花十字を仮に立碑に施されれば何かの家紋ともとれるかも知れないと思う。
勿論通常の「✝」もあるが、花十字の他にカルバリオ十字(千型の十字)の事例は多い模様。

B,寝棺蓋石型伏碑
Aを更に蓋状(立体性が低い)にしたり、全くの平板型や自然石を墓室の上に伏せる。

大分県湯布院町の「並柳のキリシタン墓碑群1」。
平板に十字を施し、無銘。
右側の写真のものでL46cm,W28cm,H15cmで、これは真ん中に穴を掘っている。他の事例の説明をみると、祈祷らの時には十字架を立てた様な記述がある。
並柳集落では合計57基の墓碑があるそうで。
由布院を支配する四豪族の内、戸次氏からの分派「奴留湯(ぬるゆ)氏」が大友氏vs島津氏の「日向耳川の戦い」に従軍、九死に一生を得て帰投、強烈なキリシタンとなり、周囲では最高2000人を超えるまでになったとの伝承だそうだ。
奴留湯氏は後に大友義統の棄教,弾圧やその没落で離散した…とか。

C,立碑
板碑や(後代の)和式墓碑,庚申塔等の様に墓碑を立てている。
当然、カトリックの象徴になるものを仕込む事になるんだろう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/11/174246
筆者の予想するこんな事例もこの立碑の(隠匿性が)行き過ぎた例なのかも知れない。

大分県大田市の「十字架型の石塔」。
文禄五(1692)年、キリークの種子の下には戒名。
もう、幕府の切支丹類族改より5年後だが、徹底が遅れたか?としている。
著者は典型的な仏教徒への擬装と考えている様だ。
変わった事例では…

大分県本匠村の「松葉のキリシタン墓碑」。
上はカマボコ型に「✝」を刻む墓碑だが、むしろ問題は下。
この墓碑と並ぶ庚申塔なのだが、青面金剛の右手の輪宝には✝を刻み、左手は本来三叉矛のところが槍、下の右手の弓矢は心臓を撃ち抜く。又、蓮の台座の下には三角形を描き三位一体を示す…著者はキリシタン系統と考察する。
確かに「違和感」を感じるが、もう立碑になると、どこまでどうなのか?ハッキリ解らぬ感もある。

この他、Bの伏碑の上に五輪塔が立っていたりするパターンも。
もうこうなると、
キリシタン仏教徒を擬装
キリシタン墓碑を仏教徒が台座として転用
どちらとも考ええられそうな物もある。
何せ前項にもあったが、カマボコ型の伏碑が「手水桶として転用された」事例は幾つか九州でも確認されている様だからだ。
さすがに同書にはA~Cの時代変遷までは記載が無い。
元々オープンで信仰されていた→禁教令で潜伏化…なら、A,B→Cと擬装の傾向は強くなるであろうが。
ここは、無銘が多く年代特定が難しいのもあるかも知れない。
種々「これは!」と思うところあれど、禁教令前のあからさまな「✝」「IHS」「INRI」等を彫り込む事例がないと、断定は難しいのかも知れない。
毎度言ってはいるが、先祖慰霊や信仰対象なので、学術の名の下に簡単に発掘する訳にもいかないのだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/12/194837
こんな事例は超レアケース。


さて、如何であろうか?
これらはまだ入口。
こんな人々の一部が新天地を求め、織豊~江戸期に北上したのは言うまでもない。
北海道~東北に至る過程でどのように変遷したか?等は、これから記録や文献で学ぼうとは思う。
禁教令で隠された部分は多く、また修験道系の一部がカトリックを取り込んだ指摘もあるので、ハッキリさせるのは難しいのは解った。
ただ、こと北海道においては、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/07/10/212151
こんなレアな事例が報告されているのは概報。
弾圧と言うフィルターをかけるより、技術や文化を伝播した人々…として、語り継ぐのも必要な事ではないか?…と考えるのは我々だけだろうか?
前にも書いたが、流れるSNSの写真の中には「あれ?」と思わせられるものは結構ある。
先日も「手水桶」と思われるものがあったりした。
それだけ、現在の想像より潜伏キリシタンの痕跡は浸透していたのかも知れない…そう思う。









参考文献:

「九州のキリシタン墓碑 -十字架に祈りて-」 荒木英市 出島文庫 平成14.10.25