協会創生期からのリーダー達の本音…彼等は「観光アイノ」をどう評価していたのか?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/26/174417
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733
さて、こちらを前項として。
少々またSNS上で話題になった事を。
観光アイノを協会創生期のリーダー達がどう見ていたか?である。
現実には、以前より北海道の観光イメージとして利用されたり、古い古潭の生活や祭祀して各地で事業展開されたり、予算を引っ張る為に「推進法」利用しているのは、飛び交う報道で見えてくる。
ならば、そんな現実を民族運動の先頭に居た方々がどう思っていたか?だ。


「明治・大正期 から「アイヌ風俗」の見 られる地として紹介 されてきた旭川(近文地区)や白老より遅く、昭和に入ってから急激に観光 地として脚光を浴びた阿寒は、湖畔地区だけでも今なお年間150万人の入り込みがある人気の場所である。それだけに、阿寒でアイヌ文化に触れ、理解を深めたいと考える旅行者は少なくないと思われ[ペウレ・ウタリの会 1998]、アイヌ文化を普及するためのさまざまな新しい試みも始められている。」

「阿寒観光とアイヌ文化の関する研究ノート -昭和40年代までの阿寒紹介記事を中心に-」 斎藤玲子 『北海道立北方民族博物館研究紀要第8号』 1999.3.31 より引用…

「さて明治五、六年ごろの事であろうか~中略~これより川村モノクテが酋長となり~中略~川上コヌサは和人の測量など手伝って和語に巧みであり、従って何かと勢力のあった上に、旧土人博物館をその屋敷に設け、観光客を相手にしていたことから、便宜上酋長を名乗る様になり、さては一部族に両酋長がいると怪しまれたり、昭和十二年にはついに本家争というような紛議まで起きるようになる。」

旭川市史 第一巻」 旭川市編集委員会 昭和34.4.10 より引用…

この様に、古いとされる旭川(近文)で初めて博物館を作ったのは「川上コヌサ」のようで既に明治5~6年位には開始されていた様で。


ではまず、以前から紹介してきた戦前の協会理事長「吉田菊太郎」翁から。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/12/203509

「このように過去と現在を区別してアイヌ人を見る人が幾何あろうぞ之がアイヌに対し理解に乏しい者の中にはアイヌを利用して金儲けをする輩も少なくないといはれ、此の事に就てはアイヌ自体も誤つてゐるからである。過去の事ではあるが自業宣伝のため或は興業師等がアイヌを利用し観光其他に於て自他共に訳も判らぬ出鱈目な表現や振舞をさせ観客を欺く事を敢て行うという。」

アイヌ文化史」 吉田菊太郎 昭和33.5.10 より引用…:

添付でも引用していたが、彼は「過去と現在の二つのアイノ」とし、出鱈目な表現,振る舞いも含めて好意的とは考えては居なかった様だ。
何より、古いイメージでフィルターを掛けられるのを嫌い、それを助長する様なものには賛成しかねると言う感じか。
自分達自身も「古い古潭の生活は完全に滅びた」とはっきり言った上で、それを「保存」する意味で「北海道アイヌ文化保存協会」を設立し考古館を建設、初代会長に就任している。
これが彼からのメッセージ。


では、他には?
折角だから、上記旭川市に合わせてこの人物の主張…「荒井源次郎」氏。
彼もまた若手として、吉田菊太郎翁と同道し、上京したりした人物。
こちらは吉田翁の「アイヌ文化史」より時期を下り、‘80sに出版された「アイヌの叫び」からだが、吉田翁よりかなり過激。
何せその章の章題は「アウタリ(同族)の敵・観光アイヌ事業」とある。

アイヌの酋長制度は何時の時代に始り、何時の時代に終ったか明らかではないが、観光用としてのいわゆる自称酋長が誕生したのは今から四十年位前と記憶しているが、見世物的酋長或は古風の笹小屋など未だ跡を断たない。
ところが今日、和人がこれらの酋長を利用、商魂からのいわゆる観光用の自称酋長を使ってアイヌを見世物的俳優的な行為をさせている。勿論、彼等偽酋長も所詮生きんがために選んだ職業に外ならないが、こうした一部同族の所業から受ける多くの同族は著しく迷惑を蒙むる。こうしたことから利害の相反する両者が反目しいざこざが絶えないのは当然の事である。
しかも最近北海道の紹介書や観光案内のパンフレットを見ると、殆ど例外なしに往時のアイヌ風俗の紹介が載せられており、観光アイヌ所在地が示されてる。アイヌは恰も昔のままの生活をしているかのように紹介され、そのようなアイヌコタン(部落)が今日なお実在しているかのように取り扱われている。」

「現に本道における観光アイヌ地を大別すると、白老外数カ所に存在する。とりわけ白老は歴史的にも古くその規模も大きく、従って全道的に有名な観光アイヌ地である。次は規模において上川アイヌモシリであるが、運営は何れも和人が主体で町を挙げての観光事業であり、その他はアイヌ同志で観光組合を結成、或は個人的な経営であるが、ここで問題になるのは勿論現地の実状を観察するに、和人が実権を握りアイヌはこれに追従いわゆる利用されていることである。その一例を指摘すれば、みやげ品店のほとんどが和人の経営でアイヌは見世物的に別扱いをなし、一角に閉じこめて入場料を取り、アイヌの歌や踊りを観覧に供して利益を得る。そこには一部和人の不労所得者も介在するという噂もある。また、元々アイヌだけが生産をしていた民芸品の多くは、和人の機械製で、これを正真正銘のアイヌ製品なりと宣伝販売している事実は詐偽的行為といわざるを得ない。また、観光客に対するアイヌの紹介にしても、観光客を瞞着し、更にアイヌに対し侮辱的とも受けとめられる言辞を弄するなど、観る者聞く者をして憤慨せざるを得ないのである。」

「現に、アイヌ問題が一般に議論されている折もおり、観光客を相手にアイヌを売ものにしている輩がその多きを加えてきた。昔も今も存在しないアイヌの風俗生活習慣などの絵はがきや写真を宣伝販売、その他驚くべきことは、これも過去現在に存在しないアイヌ人形(木彫)を大量に作って海外まで宣伝している事実、こんなことでは何時の時代になってもアイヌは一般人から誤った認識で見られ、相互の理解を深める上に大きな障害になることは自明の理である。」

「普通いわゆるアイヌという概念は、厳密にこれをいうならば、往時のアイヌと現代のアイヌとに区別されるべきで、勿論人類学的には両者は同一であるにせよ、往時のアイヌは悠久なる太古から尾を引く古来のアイヌ文化を背負っていたが、現代のアイヌはそのような殻を破って日本文化を直接うけているのだから、往時のアイヌと現代のアイヌの間に区別の一線が認識されなければならない。〜中略〜現に往時のアイヌと現代のアイヌを区別してアイヌを見る観光客がどれだけいるか、また利用される側の同族にしても、コタン(部落)において昔のエカシ、フチ(先祖)たちが正しく行った神聖な祭り事をする、或はさせるというなら、歓んで賛同するものもあろうが、ウタリたちが観光事業に参加し売ものにされ、アイヌの宗教まで冒瀆し全く良心のない観光的見世物としてのアイヌの宣伝行為は人道上からも到底忍びないことで、勿論同族の子弟教育上心理的に及ぼす悪影響の大なることを特に憂慮されるのである。
今やアウタリ(同族)有志の間にアイヌの持つ真正なる文化保存活動に真剣に取り組んでいる際、心ない和人やこれに利用されている一部同族によって、毎年多くの観光客に対し虚偽のアイヌ宣伝をされるのは甚だ迷惑千万であって、勿論正しいアイヌ文化は根本的に破壊されアイヌを誤った認識で見られ、同族の尊厳を傷つけられる。
こんなインチキ業者の存在は断じて許されないのであって、またこれに追従している一部アイヌのためにアイヌ全体が律せられ、批判される。それだけアイヌを正しく評価されていないことになるが、その理由は一般社会的にも連帯責任があるが、このような観光アイヌ事業が存在する限り差別と偏見は具体化し正当化されるのである。勿論、酋長と呼ばれることが、一般観光客の心を強くとらえ、そこで観光客相手の商売は繁昌、生活も豊かになることはわかるが、悪徳和人たちに煽動されて同族を売ものにして、徒らに観光客に対し熊送りや踊りを振舞って過去のアイヌの生活風俗習慣など誤った紹介や実演をして、これを観覧に供して謝礼をもらって生活する同族の如きはアイヌ全体の敵である。
今後、利用する側とされる側の両者は大いに反省し自粛を強く求めるものである。」

アイヌの叫び」 荒井源次郎 北海道出版企画センター 昭和59.8.20 より引用…

あれ?
川上コヌサ氏の本家争いの時期と符号するような…
まぁ、置いといて…
荒井氏も往時と現代とで見方を別けるべきとはっきり指摘する。
その上で、往時をイメージさせる様な観光アイノははっきり自粛すべしと語っている。
なんと「白老」「近文」は名指し…
ぶっちゃけた話だが、普通に暮らす、個人で努力する…それでも「アイノと言う色眼鏡」で見られれば、それは耐え難いだろう。
以前から言ってるが…
出自の誇りは自らの心の内で持つべき物で、他人に見せるものでもないだろう。
それを誇張拡大し大々的にやるのも如何なものか?

筆者が修学旅行で見た(実際には直ぐにパスに戻った)観光アイノの違和感は、まんま荒井氏の怒りが端的に説明してくれた。
何十年前の違和感の答え。
さて、では現状はどうだろうか?
正しくアイノを知ろう…などと言って「観光アイノ」をやっているのでは、荒井氏の逆鱗に触れてしまいそうだが。
終いにそれを政府広報や事業でやってしまっているなら、尚の事ではないだろうか?

荒井氏が言う「利用される側の者」が誰の事か?は明確に言及されてはいない。
現在の「利用される側の者」が、何方側にいるのだろうか?


こんな視点もあると思う。
本当に、「現状の形で良いのだろうか?」
まぁ、そんな投げかけをして、この項は閉めようと思う。

「現状の形で良いのだろうか?」
そして、
「これが吉田翁や荒井氏が求めたものなのだろうか?」







参考文献:

「阿寒観光とアイヌ文化の関する研究ノート -昭和40年代までの阿寒紹介記事を中心に-」 斎藤玲子 『北海道立北方民族博物館研究紀要第8号』 1999.3.31

旭川市史 第一巻」 旭川市編集委員会 昭和34.4.10

アイヌ文化史」 吉田菊太郎 昭和33.5.10

アイヌの叫び」 荒井源次郎 北海道出版企画センター 昭和59.8.20