弾丸ツアーで見えたもの…時間軸と空間のシャッフル

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/14/211625
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/15/103840
少々書くのを迷ったが、まぁ筆者の主観による「感想」と言う事で残して置こうと思う。
と、言うか、グループ内では前から「そうかもねー」などと話していたのだが、自分で見ちゃえば「あー、やっぱり」に変わる訳で。

結論から言えば…
「時間軸と空間がシャッフルされて解釈されている」…と言う事になる。

何を言っているのか解らない?
では、少し噛み砕いてみよう。

①時間軸…
例えば…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/04/25/112130
この様に、北海道史では中世遺跡が欠落していて、その間どのようだったのか?が立証出来ない。
コシャマインの乱とて、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/16/185120
こうだし、十二舘すらこう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/13/210459
今のところ、見つかってないものは無い。

例えば…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/14/211625
アイノ文化期あるあるで、古そうなものの展示がない。
これも実は、江戸初期の各火山灰降灰で被覆されたところから、幕末らの絵図の出現まで実は物的には空白がある。
なら、その遺物は本当にアイノ文化のものなのか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/12/194837
こんな話もあるんだが。
何より、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/27/052730
そこで住み続ける事が可能だったのか?
それを立証出来るか?
無理なのです。そこが空白の期間なんで。

例えば…
これは、明治でも同様。
何せ樺太の楽器文化「ムックリ」を、本道の文化に混ぜて展示しているんだから。
対雁への移住後の話の可能性が強くなる。
まぁムックリってこうなんで。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/26/174417

例えば…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/13/205841
同じ蜂起として、寛文九年蝦夷乱と寛政元年蝦夷乱を平気で括るが、背景がまるで違うやら。
弾圧がとは言え北海道の統治者は、松前藩→一次幕府直轄→松前藩→二次幕府直轄etc…と変化し、その時に応じて方針は変わっているし、施策も変わる。
でも、そんな細かい事は資料館展示らで反映される事も無い。

では、何故そんな事が起こるのか?
「空白あれど、その前も同様として遡る」様に解釈している様だ。
何せ「アイノ文化期」と一括で資料館展示していたりする。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/31/053428
まぁ、これと同様。
繋がっているか立証出来ないが「繋がっているに違いない」としてくっつける…時間軸の圧縮とシャッフルを行っている。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/30/133440
更に「諏訪大明神画詞」とはこんな巻物。


では、空間は?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/13/205841

※元文~天明元年(1739~1781)より、蝦夷地知行地及び知行主を示す書状が現れる

知行制が確実に始まったのはこの辺。
それ以前は史料が無い。
さて、ざっくり言えば
・知行制…
藩主から、場所の民衆の統治権と税の徴収権を預かる
・俸禄制…
藩主から、身分や仕事に対する対価(米やお金)を貰う
その史料が無い時期がどちらであろうか?
判然とはしない模様。
現実的には、
海と山の産物の差…
東西南北の取れ高の差…
藩主の方針…
知行主の方針…
商人の考え…
地域柄は出るのだが、西蝦夷地の事象に東蝦夷地の内容を絡ませてみたり、その逆をやってみたりは、地方史書を読んで戴ければ良く解る。度々行われているから。
ましてや上記の様に、知行主の存在が立証出来ないのに、乙名は誰と揉めて蜂起に至ったのか?
史書上で見た事がない。
具体的な事例が記載されてるのか?
書状らの史料は?
新北海道史にすら無いのに。
でっかいどー、北海道…西と東で環境が違い、山と海では環境が違う。
それなのに、知行主の方針が一緒で施策も一緒って、あり得るのか?
大体、人口は西>東なのは知れた話。
知行主の方針が同じなら、東の方は人手不足になるだろうが…
これもシャッフルと言わざるをえず。

「解明されていない」「空白がある」…
これはハッキリ示すべきだと考える。
又、展示物に概ねどの時代の物なのか?は記載すべき。
降灰前の江戸初期か(考古学資料はそうなるだろう)?
寄贈品でも、漆器が幕末か明治か大正か?
解らないなら寄贈品カテゴリーで××コレクションとして括れば良いのでは?


連々書いてきたが、時空のシャッフルはこんな風に行われてるのだろう。
それは、今後段々酷くなる。
何故なら、シャッフルされた内容で教育を受けてるんだから。
それを物語るのがこれ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/15/103840

『二箇所の資料館で「アイノ文化の特異性」を強調されたが、筆者はそれにこう答えた。
「全く逆に共通性が非常に目についた」と。
目を丸くされたが、漆塗、古墳、蕨手刀、勾玉、御幣、刺し子、間切包丁と拵に施した彫刻etc…見慣れたもんばかり。
何が特異なのか?
現に江別古墳群で大笑いした自分が発した言葉は、「まんまやん」。』

シャッフルされた教育を受けてない筆者にとっては「あれ?」としか思えない。
これから「現地の展示を見る」事例か増えて来るのが楽しみでならない。
毎度言っているが、「開拓による遺跡破壊」も「観光アイノ」も、学術調査より先である事を忘れてはいけない。
で、それを今更嘆いてもしょうがない。
研究を深化させ、「確からしさ」を上げていくのみ。
それだけの事。