北海道庁爆破事件とは?…当時の状況はどうだったのかについての備忘録

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/02/21/073146

折角だから、当時の世相の一部を『北方ジャーナル 1976年5月号』より。

前項でも書いたが、その当時は所謂過激派と言われる集団が日本中でゲリラ活動やテロを繰り返し行っていた様で。

特に「連続企業爆破事件」ら治安を揺るがす事態だった。

で、北海道はどうか?

大惨事がある。

その一つが「北海道庁爆破事件」。

それについての記事があるので、報告しよう。

 

1976年3月2日午前9時3分、当時の北海道庁本庁舎一階ロビー、西側4号エレベーター付近で事前に仕掛けられた爆発物が爆破。

・天井板が吹き飛ぶ

・鉄骨のヘリが落下

・周辺のドアガラスが粉々に破損

丁度出勤時間と重なり、エレベーター付近には大勢の人が集まっていて、死者二名、重軽傷者九十数人に及ぶ大惨事となった様だ。

この後、午後0時40分に北海道新聞社に犯行声明の電話が入り、某所に犯行声明文があると。

警察で調べたところ、「東アジア反日武装戦線」を名乗る者の犯行声明が発見される。

一応、引用してみよう。

「すべての友人の皆さんへ。私たち日帝本国人はアイヌ   沖縄人民  チョソン人民  台湾人民   部落民   そしてアジアの人民に対する日帝の支配を打ち砕いていかなければならない。カナジミ=悲しみ?(筆者註∶原文は「カナジミ」になっている模様)   からの反日闘争に呼応していかねばならない。一切の思い上がりを捨て、自己を変革し我々の反日戦線鍛え上げ拡大して行こう。道庁を中心に群がるアイヌモシリ(北海道はその一部)の占領者どもは第一級の帝国主義者侵略者である。

日帝は国力増強を目的として、アイヌモシリ植民地経営を推し進め   モシリのすべてを強奪し破壊し   アイヌ絶滅を企てて来た。

日帝は戦争遂行のため   北海道   サハリン   千島にも無数のチョソン人、中国人を強制連行し   奴隷労働をさせ   多くの虐殺をして来た。

道庁はその先頭に立って北方領土返還運動を推進しているが、アイヌは北海道   サハリン   千島はアイヌ   ギリヤーク   オロッコの母なるモシリ(大地)である   と主張している。

侵略占領者である日本とソ連こそが北海道   サハリン   千島の全域から撤退せねばならないのだ。日本の立場を支持する中国毛沢東一派は大きな犯してしるのだ。

東アジア反日武装戦線

 

「道庁爆破事件の犯人を推理する」 北方ジャーナル編集部 『北方ジャーナル 1976年5月号』 昭和51.5.1  より引用…

 

だそうだ。

おっと、我が国政府だけではなく、冷戦中のソ連毛沢東に迄、喧嘩を売っているとは。

というか、すべての友人と言いつつ、その友人を巻き込む危険性のある爆発物仕掛けるのも如何なものか…と、突っ込みを入れたくなるのは、筆者だけだろうか?

元へ戻ろう。

この他に、同日の午後8時50分頃、道新東京支社宛の直通電話へ東アジア反日武装戦線を名乗る男から爆弾を仕掛けたとの声明が。

捜査はここから始まる。

記事に興味を持ち、古書で入手したのは、実はこの後からの話である。

捜査は、この「東アジア反日武装戦線」の洗い出しから進められた様で。

理由は、その手口が先にも書いた「連続企業爆破事件」と共通性を持ったかららしい。

最も被害人数が多かったのが「三菱重工業爆破事件」で、死者8名、重軽傷者376名。

が、ある切欠を期に操作は一気に進む。

「連続企業爆破事件」と1972年の「旭川・風雪の群像・北大アイヌ資料展示場同時爆破事件」に関して8名の犯人グループが一気に検挙に至る。

ただ、その後も爆破テロ犯行は続く。

さて、この記事が書かれた時点で、北海道庁爆破事件の直接の犯人は逮捕されておらず、9月時点で1名逮捕、最高裁で死刑判決が確定、再審請求も出ている様だが、その請求は現状受理されてはいない模様。

 

簡単な事件の経緯はこんな感じであるのだが、この記事を読んで筆者が興味を持ったのはこの事件そのものではない。

何故北方ジャーナル編集部がこんな記事を載せたのか?。

それが、先に書いた「連続企業爆破事件」8名の検挙と繋がっていた点。

一つ思い出して欲しい。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/02/11/185850

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/02/12/185631

河野本道氏が「'70位からアイノやウタリへ別の意味合いを持たせた」と、主張していた。

では、その辺を。

北方ジャーナルが記事を載せた理由は、どうも北方ジャーナルが犯行予告をしていたのではないかと疑いを持たれた様だからだ。

その理由は、「太田竜」氏の論文を3点記事として取り上げた事から。

①「世界革命の原点・アイヌモシリ建国」

→「故知里真志保の資料を没収した北大・道立図書館へ警告」の記載

旭川・風雪の群像・北大アイヌ資料展示場同時爆破事件発生('72)

②「アイヌ征伐と宗教」

→「宗教」「道警本部・読売新聞に挑戦」の記載

北海道神宮放火・道警本部爆破事件発生('74と'75)

③「世界革命の原点・アイヌモシリ建国」

→「任意の北海道知事に対して、死刑を執行する事がある…」の記載

北海道庁爆破事件発生('76)

だ、そうで。

さすがに、北方ジャーナル誌としても「甚だ迷惑」としているが、全く否定出来ないとも。

まぁ、北方ジャーナルの「太田竜論文」に呼応した犯行グループが居たのであれば、起こりうる訳だ。

本記事によれば、北方ジャーナルは、先に「シャクシャイン像の題字「北海道知事町村金吾書」塗り潰し事件」についての記事内で「結局、太田竜アイヌを単に彼の信ずる革命運動の道具として利用した…」との部分に太田竜氏が抗議した事で、最初から対立関係にあった。

だがジャーナリストとして反対側の記事も記載すべきだろうとの判断で、掲載する様になったのだそうだ。

実際の3つの論文掲載は1973~1974年で、その後紙面事情で論文掲載を断っており、北海道庁爆破事件には関わりがないと説明する。

ここで、同記事では、この北海道庁爆破事件の犯人を手繰るべく「東アジア反日武装戦線」についての編集部の考察を載せている。

東アジア反日武装戦線の部隊は「狼」「大地の牙」「さそり」らと幾つかの組織に分かれており、それが当時の共産党軍事組織での「中核自衛隊」に相当、原型ではないか?と推測している。

東アジア反日武装戦線の内、先の連続企業爆破事件と旭川・風雪の群像・北大アイヌ資料展示場同時爆破事件に関わった8名に関し、どうやって逮捕に至ったか?

ウィキではあるが、ここが興味深い。

当初、上記の様にアイヌ革命論を展開していた「太田竜」氏が疑われて潔白が証明されたのだが、その思想的人脈を洗い出し、芋づる式に逮捕していった様だ。

公安は当時の過激派をマークしており、関係する出版社らからそれを辿った様で。

この逮捕者の中にはクアラルンプールとダッカ日航機ハイジャック事件の折に超法規的措置で解放されたメンバーもおり、日本赤軍に合流したりしている模様。

まぁ犯行グループの思想的なものの中には直接事件関与がないものの、太田竜氏のアイヌ革命論が影響した事になるのか。

 

さて、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/02/21/073146

前項の「結城庄司」氏。

チラリと書いたが、アイヌ解放同盟を組織した段階で、この「太田竜」氏と共同歩調をとっており、シャクシャイン像事件や日本人文学会・民俗学会連合学会の壇上占拠らを起こしている(シャクシャイン像事件では結城氏は起訴猶予)。

当時の北海道知事は、

〜'71…町村金吾

〜'83…堂垣内尚弘

その後に横路孝弘

町村〜堂垣内時代が自民党系、それを挟み社会党系知事。

元々、左派社会党系が強い地盤だった所で、6期自民党系知事だった事に。

学生運動らが下火になった辺りで自民党系にスイッチするタイミングと重なる。

同時に左派系活動は先鋭化し、過激派が暴れ出したタイミングだった。

犯行声明にあるので。

ウィキより。

「1965年8月11日に内閣「同和対策審議会」が佐藤栄作首相に答申[19]してから57年が経過した。当時共産党系の派閥は、「答申」を「毒まんじゅう」であり自民党との妥協の産物であると批判した。一方、社会党系の派閥は「答申」を運動の武器になるとして評価した。佐々木隆爾によると、この部落解放同盟の分裂劇の裏側には、部落解放運動の主流から共産党勢力を排除し、部落解放同盟内の利権派に主導権を握らせ、部落解放運動を体制の中に取り込もうとする旧内務省系の自民党右派議員グループ「素心会」の思惑があったという[20]。以後、1970年代にかけて共産党系の勢力が社会党系の勢力に排除され、今日に至る。このような経緯から、共産党部落解放同盟は反目を続けている。」

部落解放同盟が複数に分裂、自民党系と社会党系がその中で強くなり、左派の内の共産党系は社会党系に勢力排除されたりしていた模様。

関与は別として、そんな時代背景の中で名前が上げられたりする様で。

 

ではもう一つ犯行声明にある、朝鮮半島の記述は?

以前から帰国事業らが行われており、丁度、万景峰号就航が'71年だそうだ。後に北朝鮮による日本人拉致問題らが発生し出したとされるのも'70年代。

勿論こちらも関与は全く別で、犯行声明の中の記載に対して「時代背景にそんな事があった」と言う事で捉えて戴きたい。

左派系活動家の源流には、この「太田竜」氏の革命論がある様で、時同じくしてリーダーについた「結城庄司」氏と共同歩調をとっていた…それらの主張が取り上げられ、世論醸成や過激派活動へ影響した事が考えられると言う事の様だ。

ここで、前項の通り、シャクシャイン像事件の後に太田竜氏と結城庄司氏は袂を分かち、それぞれ非難の応酬を始め絶縁。

その間も太田竜氏は道内組織に闘争を呼び掛け、結城庄司氏は北海道庁爆破事件犯人に対して非難声明を出していればいるそうで。

 

上記の北海道神宮放火・道警本部爆破事件らは、犯人逮捕に至らず、時効成立だそうで。

東アジア反日武装戦線のメンバーの中には、指名手配中の者や海外へ出てから行方不明のままの者も居る。

 

又、太田竜氏はその後環境保護論者となり、その活動の延長で参議院選挙に出たりして落選。

その後何故か、フリーメイソンらの陰謀論者となる模様。

SNSの相互フォロワーさんの中には、革命論者としてではなく陰謀論者としての太田竜氏を知っている方もいて、筆者的には驚いた事がある。

太田氏を見ていて不思議なのは、何故左派系活動と環境や陰謀論らの親和性が高いのだろうか?

筆者が現実主義者だから、そんな疑問を持つのだろうか?

 

改めて書いておくが…

上記の各団体と事件の直接関与らは別の話である。

北海道庁爆破事件犯人と東アジア反日武装戦線の直接関与も、部落解放同盟万景峰号の就航らも同様。

あくまで時代背景の中で、そんな状況であったと言う事だ。

付随するなら、'72年には札幌オリンピックが、'71年には北海道開拓百年記念の祝賀行事が行われて野幌森林公園,北海道開拓記念館(現北海道博物館),北海道開拓の村,北海道百年記念塔らがオープンしているのもこの時期に当たる。

オイルショックら含め、何らかの事件には、それら社会背景が絡むであろうので、備忘録として書いておく。

 

 

 

 

参考文献:

「道庁爆破事件の犯人を推理する」 北方ジャーナル編集部 『北方ジャーナル 1976年5月号』 昭和51.5.1