https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/03/28/195614
前項はこちら。
関連項は、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/05/204650
天工開物。
ボチボチ放置出来なくなってきたので、満を持しして。
前項にあるように、この「デ・レ・メタリカ」こそ錬金術を科学に変えた本。
詳細は前項に書いたので、本題にいこう。
訳本序文の日付は1550年12月1日。
例えば、伝説のバテレン、アンジェリス神父は1568年産まれ、1586年イエズス会入会、1602(慶長7)年に来日。
同時期に来日した南蛮人達は、この書を読む事は可能。
当時、欧州でやられていた鉱山採掘や精錬技術の集大成でもあるので、我が国に伝えられた「南蛮吹き」も、当然これに近いものになるだろう。
では鉱山の採掘技術を割愛し、それ以降の工程を見てみる。
とはいえ、いきなりなのだ。
鉱山師…
肉体労働的なイメージを持つ人は多いだろう。
直ぐに「過酷な労働が〜」と叫ぶ輩は多い。
だが、著者アグリコラが解く「鉱山師」に必要なものとは…
・哲学…
物の起源や原因,性質を知る為
・医学…
健康に作業を行う為
・天文学…
方位や鉱脈の広がりを理解する為
・測量技術…
採掘をスムーズに進める為
・算術…
道具設計や費用計算に必須な為
・建築学…
坑道や付帯建物が必要となる為
・図学…
図面がないと設計,管理が出来ない為
・法律…
権利らの問題には必ず法律がある為
以上。
勿論、鉱夫として専ら堀子に徹したり、何かに特化精通する人もいようが、後にそれらに指示を出す立場にもなるなら、これら全てが必要だとしている。
これが鉱山師の必須科目だと言っている。
○基本的に、各金属の精錬前に行う工程は共通。
①選鉱,破砕,洗鉱…
鉱石を品位の高い部分と低い部分に選り分け、ハンマーで砕く。
破砕は水車を利用した杵と臼を使用。
これを繰り返し、分けて樽に入れていく。
細かくした鉱石は、三種程度の篩に掛けて、後に緩やかな傾斜(地域により小川にしたり樋や板の上)で水に流す。
比重の低い砂の部分は流しさり、比重の高い金属部分は傾斜の上に残る様に洗う。
②焙焼…
地面を方形に掘り、周りは煉瓦に囲い前部のみ開放しておく。
薪を二段に積み並べ、その上に鉱石を積む。
鉱石は下に大きな塊→中塊→小塊と緩やかな円錐形にし、最後頂上に細かい破片を載せる。
破片には水分を含ませ飛散防止する。
これで薪に点火し、焼く(この工程が焙焼)。
焙焼の目的は、
・硬い鉱石を脆く柔らかくする
・不純物を除去する(特に精錬の邪魔になる硫黄を飛ばす)
の二点。
焙焼は地域(恐らく鉱石への不純物の量の違い)により、1~3度繰り返し行う。
時に焙焼後、厚い内に水をかけて、鉱石をさらに脆くさせたりする地域もある。
③選鉱,破砕,洗鉱…
①同様。
小川ではなく、樋を使う地域ではこの様にして金庫部分と岩石部分の選り分けをしていく。
鉱石や目的により多少の違いはあるが、これら工程を行う事で低品位の鉱石も高品位の鉱石も岩石部分が取り除かれ、一括で精錬処理が可能になる訳だ。
○精錬工程…
①溶解,一次精錬…
予め、細粉した木炭と粘土を加水し混ぜた物(2:1)を壁面塗布と炉体下部に敷き詰めて固める。これが坩堝になる。
又、炉体外部地面に穴を掘り凹を作り(この凹を前炉という)、これにも木炭と粘土を塗り硬めておく。
坩堝と前炉の間には傾斜がつけられ、溶解した金属が坩堝→前炉と流れる様に設計しておく。
坩堝上に前部の口が塞がる大きさの木炭を入れ、更に炉体上部から木炭を追加し、炉体を木炭で一杯にする。
場合により前炉は別の炭を燃やし予熱しておく。
翌朝より点火し、フイゴで送風し炉内を温める。
充分に温まったところで(事前に鉱滓を投入し溶ける事を確認)、前部の口を塞ぎ、
・前工程で細かく且つ岩石部分を取り除いた鉱石、及び、鉛を炉体上部から投入
→・前日処理の鈹
→・一酸化鉛,窯鉛,溶媒剤,鉱石を混ぜたもの
→・鉱滓
の順に投入し、炉体を埋める。
加熱が充分になると、内部の鉱石らが溶けてくる。
ここで、前部の口の粘土に鉄の棒で穴を開け開口する。
・鉱滓
→・鈹又は鉱滓付着の金属
→・鈹
→・金,銀の合金
の順で流れ出し、前炉へ貯まり、比重差で徐々に分離、徐々に固まっていく。
半固形となったところで、
・鉱滓
→・鈹
の順に鉄鈎で外し、前炉には金銀の合金が残るので、柄杓で汲み出して鋳型に入れて固める…
これで金銀を取り出す事が出来る。
不純物が混じる鉱滓と鈹は、翌日に新たな鉱石と共に溶解を繰り返す訳だ。
南蛮吹きは比重差と傾斜を使うと言うが、これの事。
灰吹は、鉛ら不純物を融点差で流れ出させる。
○金銀の分離工程…
つまり二次精錬と言うべきか。
「金は銀と、あるいはまた銀を金から、それが自然の合金であれ人工の合金であれ、強酸ないしはこれと似た成分の粉末の力を借りて分離する。」
「デ・レ・メタリカ-全訳とその研究 近世技術の集大成」 アグリコラ/三枝博音 岩崎学術出版 1968.3.31 より引用…
ここでは、この強酸性の液体の製造方法もあるが、割愛。
明礬と硝石を使ってるところを見ると、硝酸を使ったのではないだろうか。
①強酸利用での金銀分離法…
・金銀合金に鉛(銅成分の少ない物)を加え加熱し、鉛を蒸発させる。
この過程で、棒でかき混ぜ粒状にするか型に流し込み薄膜を作る。
→・薄膜は細片に切り、ガラスのフラスコに入れる。そこに強酸を注ぎ口を蝋引きの布で包み加熱する。
→・沸騰させると銀が分離していくのが解る。フラスコの底には金の残滓が残り、銀含有の強酸と分離する。
→・銀含有の強酸を銅鍋に移して冷水を入れると銀が固まり遊離する。
→・水を廃棄し、銀を取り出して乾かす。
→・乾いた銀は陶製坩堝に移し加熱、溶けたら鉄の鋳型に注ぐ。→※銀の分離
→・フラスコの底の金を温水で洗い、濾過,乾燥する。
→乾燥したものを坩堝に移し、硼砂を混ぜて加熱する。
→溶けたら鉄の鋳型に注ぐ。→※金の分離
一度、銀を硝酸銀化して金を分離しているのだろう。
上記以外にも幾つか事例を載せているが、基本的にはこんな手段で金精錬(又は銀精錬)を行っているようだ。
②粉末利用での金銀分離法…
A.硫黄使用
・金銀合金を坩堝に入れ加熱し溶かす。かき混ぜなるべく粒状にする。
→・細かく砕いた硫黄を振りかけて、陶器壺へ移す。
→・壺に陶器の蓋をかけて密閉したら、周囲を燃えた炭火で囲い加熱。
→・中で黒い物体が出来たところで別の坩堝へ移し、蓋をし密閉する。
→・フイゴのある炉に入れて加熱する。
→銀が溶けたら蓋を開け、粒状銅と一酸化鉛,粒状鉛,食塩及びガラス屑を混ぜた粉末を加え、再度蓋をし密閉する。
→・溶けたら、上の半液体のものを小鍋の様なもので掬い出し、鉛入の容器に注ぐ。坩堝の底には金合金が残る。
→・金合金を取り出し、若干くっついた固まり(半液体が固まったもの)は綺麗なところで叩くと簡単に外れる。
→金合金を陶製坩堝に移し、細かく砕いた硫黄と粒状銅を加えて加熱…これを繰り返す。→※金の分離
→半液体のものが冷えて固形化したら、金から剥がしたものも含めて鉛で分離させる→※銀の分離
※ここで更に品位を上げたければ、強酸を使う手段で金と銀を分離する。
B.硫化アンチモン使用…
・金銀合金を加熱した陶製坩堝に入れる。
→・半液体状になり、容積が増えてきたら硫化アンチモンを加える。
→・更に加熱し、容積が増えて来たら再度硫化アンチモンを加える。
→・規定の量の硫化アンチモンを加えたら蓋をして密閉。
→・脂肪又は蝋を塗布した鉄坩堝に、陶製坩堝から注ぎ込み、煮沸させる。
→・金合金が底になる様に分離する。
→・冷えてから金合金を引き剥がす。
→・上記を4度繰り返す。但し、硫化アンチモンは投入量を毎回減らしていく。
→4回分の金合金を集め坩堝へ入れ、硫化アンチモン,酒石,ガラス屑を加えて加熱し溶解させる。→※金の分離
→金以外のものに鉛を少々加えて加熱し溶解させる。→※銀の分離
※各加熱はフイゴ付きの炉で行う。
金と銅、銀と銅らの精錬は割愛する。
参考に…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/03/14/065055
ここで、鈴木氏が天工開物にあると指摘方法は…
・金銀合金を薄片にして細かく切る
→・一変毎に粘土で包み坩堝に入れて硼砂を加えて加熱する。
→・銀は粘土に吸収される。その粘土を取り出し、鉛を加えて再加熱→※銀の分離
→・金は吸収されず流れ出せる。→金の分離
との事。
これも硼砂という溶媒を使い、融点を調整する事で各種金属を分離していく、物理手法を使っている。
アグリコラが説明する各種手法は、土地や鉱山により若干の差がある事を指摘する。
恐らく、鉱石差や地域によるカット&トライで辿り着いた職人技、技術の世界。
但し、上記に水銀アマルガム法は記載が無い。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/06/30/205122
これは全くのメキシコの技術で、そこで鍍金らの技術を応用した技法に至ったのであろう。
それに、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/31/195723
後代に我が国の鉱山,精錬所の南蛮吹きを利用した技術の中にはそれが無い。
つまり、デ・レ・メタリカら欧州鉱山の技術は入手出来た→メキシコはスペインの支配下→我が国へ南蛮吹きを伝えたのは、ポルトガル系?…ら、推定も出来て来るのではないか?。
当時、家康と政宗が欲しかったメキシコの技術、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/17/162536
水銀アマルガム法が伝わる事は無かった。
この技術の触りだけは、家康と政宗は噂程度で知っていたのではないだろうか?、だから使節をスペインに送る程に欲しかったのではないだろうか。
上記を見る限りでは、金銀分離に関しては、強酸を使う手段ではなく、②−Aが最も近そうだ。
この辺を各地の技術と見比べて行けば、時代時代の技術と遺跡発掘での遺物との比較で、その遺跡で何が行われていたか?も、想像出来て来るだろう。
その為の布石として、これらを学ぶ必要がある訳だ。
また、これらがバテレンや切支丹が伝えたのは伝わる。
似た遺物や関連事項が出てくれば、それらの痕跡にもなるのかも…
この辺で怪しいところは硼砂の使用や鉱石からの精錬を行う事かも知れない。
元々砂金や自然銀から金銀をとったであろうから。
まぁ、少しずつ攻めていこうではないか。
参考文献:
「デ・レ・メタリカ-全訳とその研究 近世技術の集大成」 アグリコラ/三枝博音 岩崎学術出版 1968.3.31
「佐渡金銀山史の研究」 長谷川利平次 近藤出版社 平成3.7.10