https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/27/052730
前項はこちらとして…
火山噴火により地表を被覆した火山灰がどの程度あるか気になり、以前、地質学系の文献から拾った事がある。
毎度、江戸初期の火山灰被覆の話はしているが、じゃ他の時代はどうなのか?気になった。
江戸初期の火山灰は編年指標として用いられる。
これと十和田&白頭山−苫小牧火山灰の間は中世と位置づける事が可能。
だが、道東はそれらの影響は当然軽くなる為にそれを用いて年代特定するのはムリ。
なら、道東の状況はどうなのか?…これが動機。
古いので、最新版はあり得るし、被覆範囲らの把握迄はしていなかったので、あくまでも目安として。
大体、続縄文途中~江戸期。
テフラ名 火山名 西暦
Ko-e 駒ヶ岳 250
Os-b 下 渡島大島 360
At-b アトサスプリ 521
St-1 下 知床硫黄山 621
Me-a(2) 雌阿寒岳 830
To-a 十和田 915
Bt-m 白頭山 946
Ma-b 摩周火山 1021
※1 礼文島 1160
St-1 上 知床硫黄山 1321
※2 丸山 1390
Me-a(1) 雌阿寒岳 1390
Ko-d 駒ヶ岳 1640
Us-b 有珠山 1663
Ta-b 樽前山 1667
※3 白金温泉 1670
Ko-c2 駒ヶ岳 1694
Os-b 上 渡島大島 1700
乙部層 奥尻神威岳 1725
Ta-a 樽前山 1739
Os-a 渡島大島 1742
Us-Ⅴa 有珠山 1769
Ta-Ⅱa0 樽前山 1804~1817
Us-Ⅳa 有珠山 1822
Us-Ⅲa 有珠山 1853
Ko-c1 駒ヶ岳 1856
註釈:
※1→新規クロノス層下部
※2→名称無し(埋没林腐植土をC14炭素年代測定)
※3→溶岩2層上(白金温泉付近火口の遺物をC14炭素年代測定)
これは年代特定方法が種々あり、考古学での編年指標として使われていないものも含むので、あくまでも目安である。
江戸期の火山噴火が目立つのは、記録に残り始めたのもあるだろうが、現実平安期と江戸期は寒冷期になっている様なので火山噴火の影響はあるのかも知れない。
さて、中世。
ご覧の通り、抽出した当時は道東の火山噴火が目立つなという印象だった。
Me-aらの被覆を受けた道東の遺跡はあったと思う。
前項の③,④にある津波や海進,海退は、火山噴火そのものと言わずとも、千島や道東付近の地殻運動が活発だった事は考えられるのかも知れない。
なら、その地域に住み続けるのか?…こんな視点は持っておく必要はあるだろう。
何せ、野生動物はこの手の変化に敏感で狩猟収量には影響するであろうし、稲作中心の生活に比べて土地に縛られる必要もない。
土地にゆとりがあるなら、動物を追って移動する選択肢もある。
さて…
北海道の先祖達は、これら自然の脅威の中で生き延びる事が出来たのか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/10/19/054652
移動してでも、生き延びねば種は絶える。
但し…
移動すれば、移動して他の地域に住めば、文化のシャッフルが起きるのも必然。
現状の通説解釈で、これらの説明がつけられるか?…難しいのではないだろうか。
まぁ、その辺を知っていたので、既成概念は破壊した方が良いのでは?と言ってきた訳だ。
こんな、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/04/25/112130
中世遺跡の空白も、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/05/204149
こんな風な突如出現した貝塚を移動痕跡と見れば、説明出来てくる。
我々にとっては通説解釈なぞどうでも良い話。
現物や事実から仮説化出来るか学んでいるだけなので。
「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」
論語の一節。
知識を増やす意味で、筆者は楽しくてしょうがない。
資料館を回るだけで、新たな疑問と知識が勝手に増えていくのだから。