イエズス会とフランシスコ会が反目した背景的理由とは?…最新刊「「海」から読みとく歴史世界」を読んでみる②&ゴールドラッシュとキリシタン-35

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/11/19/204248

「「金成マツ」が伝えたアイノ文学世界観とは?…最新刊「「海」から読みとく歴史世界」を読んでみる①」…

最新刊から2項目。

今迄も、織豊〜江戸初期において、カトリック側が一枚岩ではなかった事は概報。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/20/141907

「ゴールドラッシュとキリシタン-24…「伊達政宗の倒幕計画」より際どいのはむしろ「バテレンや諸外国が一枚岩」ではない事」…

また、ポルトガルとスペインでは、その貿易形態が違っていたのも概報。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/22/195207

ポルトガル,スペインとオランダの関係、と言う背景…「十七世紀のオランダ人がみた日本」を読んでみる」…

中南米で銀を調達していたスペインに対し、ポルトガルはアフリカの金のみを持ってChina(絹調達)→我が国(銀調達)→東南アジア(香辛料調達)→欧州へ…を繰り返していた様だ。

勿論、ポルトガルが推したのはイエズス会で、スペインが推したのがフランシスコ会

どうして反目に至るか?をあまり明瞭な記述がある文献を見ていなかった。

で、かなり明瞭な回答をくれたのが高橋裕史氏の「大航海時代と日本をめぐる海の攻防−ポルトガルとスペイン、そしてローマ教皇−」。

では、報告しよう。

 

まずは、ポルトガルが何故大航海時代の牽引をしたか?

①地中海商業の成立…

11世紀にノルマン人系のデーン人がフランスのノルマンディーを拠点に地中海へ進出し始める。

当時、地中海商業を牛耳っていたのは陸路で東方からの文物を支配していたイスラム圏の勢力。

で、イスラム勢力を駆逐し、この地中海の覇権を獲得と宗教勢力拡大の為に十字軍が編成され二百年におよび派遣される。

十字軍遠征は失敗に至るが、派遣による人的交流からキリスト教圏(欧州圏)とイスラム圏の間に商業関係が誕生し、イスラム圏…つまりオリエント圏や更に東方の文物が欧州圏に流入する事に。

だが、オリエント圏の主力だったアッパーズ朝(拠点はバグダッドやダマスカス)が12世紀に衰退し、エジプトのファーティマ朝が登場、拠点の移動や貿易路終点がアレキサンドリアへ変わっていく。

その為、ペルシャ湾経由から紅海経由にルート比重が動く。

ベネチアジェノバ台頭…

オリエント圏の産物はアレキサンドリアへ。

それを地中海の商業都市国家であるベネチアが買い付けし、欧州圏で売る…こんなルート開設し莫大な富を築く。

更にジェノバは西地中海のイスラム勢力制圧に成功,ジブラルタル海峡を押さえ、アフリカ北西部や欧州中部迄商船を送る様に。

オスマン帝国の西進…

15世紀になりオスマン帝国が西へ進出しエジプト征服。

ここで、地中海のベネチアジェノバの商業活動を制約した為に地中海勢力が衰退し始める。

だが、欧州内ではオリエントの産物や香辛料らの需要は高まるばかり。

香辛料らはイスラム圏への高額関税や手数料を支払うしかなくなる。

ここで欧州商人達がイスラム圏を介さず直接アジアと取引すべく海へ漕ぎ出す…大航海時代の幕開けとなる。

ポルトガルが海へ…

先陣を切ったのが、ジェノバの資本とノウハウを導入したポルトガル

14世紀には西アフリカのカナリア諸島迄進出した。

目的は、

・アフリカ側のイスラム勢力を制圧,駆逐

・伝説のキリスト教国の王を探し出しコンタクトする

・西アフリカの「金」と「奴隷貿易」をイスラム勢力から奪取

で、宗教的動機と経済的動機が重なっていた模様。

⑥スペインも海へ…

最大目的地が香辛料を獲得すべくアジアとなるが、スペインが西廻り航路へ向かい15世紀にバスコ・ダ・ガマがインドのカルカッタへ到達。

東廻り航路を使ったポルトガルは遅れをとる事になる。

両国の目的はアジアに向かう経路上の大陸や島らを最初に発見し領有権を得る事に変わっていく。

ここで一つ大問題が起きる。

ポルトガルとスペインが同じ大陸や島で鉢合わせになった場合、どちらの領有権となるか?

つか、そんなもん、もう国家成立している国々にとっては甚だ迷惑な問題なのだが。

バスコ・ダ・ガマカルカッタ到達は1498年らしい。

その頃、我が国は1493(明応2)年の明応の政変で事実上、戦国期へ突入。

北海道〜北東北と言えば、安東政季が田名部→北海道→檜山に入り、檜山安東氏成立。

その子安東忠季が檜山城を完成させたとされるのが1495(明応4)年で、北海道側も血生臭い風が吹いているとされる頃。

もとい…

ローマ教皇勅許とデマルカシオン設定…

発見した大陸と島に対する権利とそこに至るまでの航海領域の二つの権利、お互いにそれを主張しながら拡大しているポルトガルとスペイン。

異教徒征服事業でもあるそれらは、お互いに進行していくにつれ排他的にならざるをえない。

主張の正当性が担保出来なければ、進出先の権益を失う事になる。

で、ローマ教皇に働きかけ、1494年にトルデシーリャス条約を結ぶ。

この辺は世界史の大航海時代を習えば出て来る話だが、世界二分割帰属って話だ。

現在の国際法なぞ微塵も無い時代、ローマ教皇の名の元に、ポルトガルとスペインは世界を二分割する条約を結ぶ。

改めて、甚だ迷惑なお約束であるのだが、ローマ教皇にして真顔でこんな裁定をしちゃう時代があったと。

つか、ここまでが前提条件なのだが。

 

さて、本題。

我が国へのカトリック布教はイエズス会フランシスコ・ザビエルが最初。

大航海時代の海外布教は、布教地の教会をポルトガルとスペインの王が保護者と設定する「布教保護権」という制度だったと言う。

イエズス会の布教保護者はポルトガルで、主に経済面での支援の義務を負う。

インドのゴアを拠点にしていたイエズス会はChinaや我が国への布教を進めるが、同時に保護者としてポルトガル王から保護や資金援助を受ける代わりに王室利益とポルトガル国益を守り広げる事もしなければならない。

先の図を見て戴ければ解るが、我が国から西〜ユーラシア,アフリカ大陸を領有するとされたのがポルトガルで、南北アメリカ大陸らを領有するとされたのがスペイン。

ここで忘れてはいけない事が。

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/09/20/202558

「ゴールドラッシュとキリシタン-32…この際アンジェリス&カルバリオ神父報告書を読んでみる③&まとめ」…

この一連の世界観。

本道らは情報があるが、千島より東は未知の領域。

そこにテニアン海峡と言う架空の海峡で、ユーラシアと北アメリカは隔てられ、本道の東の海の何処かに金銀島がある…こんな風に考えられていた。

そこに住む人々の総称が「yezo」。

と言う訳で、基本的にスペイン&フランシスコ会は入る隙は無かった様で、ポルトガルイエズス会の独占状態。

で、イエズス会は布教でキリシタンを増やし、大友宗麟,有馬晴信,大村純忠キリシタン大名という「日本の守護者」を獲得。

Chinaもポルトガルの領有と考えていたので明へ進出し、(法規内で)鎖国中のマカオへの居留が認められ欧州として独占的に交易が出来た。

この辺の実績で時のローマ教皇グレゴリウス13世に他の修道会の日本布教を厳禁(破れば破門罪)としイエズス会の拠点である東インド経由以外での進出は禁止され、イエズス会の独占を認められる。

時に1575年。

勿論、ローマ教皇にすれば「日本教会の保護者はポルトガル王である」、「(東インドら)ポルトガル国民の征服に属する地」という解釈。

そんな事は知った事じゃないと動いた人物がいる。

誰か?…「豊臣秀吉」。

ぶっちゃければ、フィリピンに居るスペイン総督に入貢する様に脅した…だ。

で、やり取りの末に正式な外交使節として派遣されたのがフランシスコ会のバウティスタ。

当然、秀吉からの召喚なので畿内へ苦も無く入る事にも成功。

イエズス会以外の会派が畿内で(ついでに)布教した最初の記録となる様で。

さてでは、核心へ。

日本のイエズス会は当然ながら拠点を通じて抗議をする。

何故、抗議したのか?

この数年前からヴァリニャーノらイエズス会宣教師はこんな風な他の修道会が日本参入を警戒していた様だ。

理由は、

①他宗派と捉えられるのを嫌った。

仏教らは諸宗派に分かれている。

カトリックは修道会は違えど元々はバチカンの教義に沿うので、実際行っている事は一致する。

だが、ミサの内容等が同じでも、修道服や行動が若干違いはある。

この差を日本人やChina人が理解出来るかをかなり危惧していた。

②修道会同士の見解不一致が出る。

日本人と欧州人では資質や習慣が違う。

ここで修道会同士の見解や布教スタンスの差が出てしまえば、矛盾ととられかねない。

③牌の問題。

修道会同士で資金調達や信者の食い合いをしてしまえば、足の引っ張り合いが起こる。

④日本人聖職者による布教。

最終的には外国人ではなく、自分達が育てた日本人聖職者の手により改宗が進むべき。

これらの危惧が現実化すると改宗が頓挫しかねず、単一会派で進めるべきとヴァリニャーノは書簡に書いている様で、それが日本イエズス会の総意としてローマイエズス会本部に報告され、スペイン,ポルトガル両王とローマ教皇から通達してもらえる様に調整する様に指示を出している。

そして、

⑤自分達の活動費を死守する為。

実は、「布教保護権」の制度ではバチカンからの恩賜と保護者たる保護国の王の年度給付金が主な活動費用となる。

ザビエル来日からヴァリニャーノが組織的布教の体系確立段階で、当初からの年間資金は2〜2.5倍に膨れ上がっていたそうだ。

しかしこの時、ポルトガル王からの資金援助が十分に回されてはいなかったらしい。

名目金額は大きいが、満額支払いが行われはしなかったそうだ。

資金が途絶えれば布教なぞ無理。

そこで日本イエズス会は、マカオポルトガル商人にコンタクトして対日貿易用の絹生糸の枠を一部割当して貰っていたと言い、多い時では年間経費の2/3をその利益で補ったそうだ。

これ、慈善活動ではなく経済活動になるので本来はNG。

が、会派を通じイエズス会総長とローマ教皇から特別に公認を取っていたようだ。

さて、これに他修道会が参入する事になればどうなるか?

イエズス会保護国ポルトガル

当然、フランシスコ会らはスペインが保護国

ただでさえ、ポルトガルの貿易スタイルは積荷を持たずにわらしべ長者的スタイル。

ポルトガル商人とイエズス会の利益が、スペイン商人と他修道会に食われかねない…と言う訳だ。

イエズス会単一会派での布教が、ポルトガルの権益をスペインから守る事に直結した。

⑥軍事侵略への嫌疑に対する危惧。

サン・フェリペ号の取り調べで航海長が「スペインが世界に領土を持っているのは、宣教師派遣→改宗,教化→軍事侵攻と教徒の内乱を起こしたから」と証言したのは知られた話ではあるが、それ以前から天下人や大名達は修道師やポルトガル,スペインが悪事を企てているのではないかと疑っていた様で、しかもそれを共有していたと著者は指摘している。

当然それは、バテレン追放令や禁教令が出される遥か前からだ。

そんな嫌疑が共有された地へ、他修道会がイエズス会と微妙に違う事を並べたらどうなるか?

疑惑は膨らみ、布教どころではなくなる。

以上、著者の挙げた理由を噛み砕くとこんなところか。

 

我々的にはこの⑤の理由がかなりシックリくる。

ただでさえ、奴隷交易は我が国では需要がなく、

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/03/08/123257

バテレン追放令を施行したもう一つの理由…「南蛮人のみた日本」にある「人身売買」の事例」…

成り立ちはしない。

売り物の枠が減れば資金枯渇する。

しかもそんな蜜月関係をもつ商人の多くは奴隷商人も兼ねる。

ポルトガルの権益を守るには、奴隷商人の言う事には逆らえない。

故に、教義的に問題あろうとも、奴隷売買に眼を瞑るしかなかった…と言う感じ。

その後に実際にはイエズス会と他修道会は、ポルトガルとスペインの国家競合の図式そのままローマ教皇庁を巻き込む事になり、時のローマ教皇の思惑や新教皇のスタンスで話が二転三転。

教皇庁としては、国家権力が海外布教に介入する弊害を問題視せざるを得なくなり、「布教聖省」を設立して直接海外布教を統括する事になった様で。

しかも、プロテスタントのオランダやイギリスが海外進出を始め、台頭し始める。

秀吉も家康も通商出来れば良いだけ。

宣教師が各国国王の代理をしていたから話していただけで、自ら良い教義だと思っていた訳でもなく、むしろ侵略の危険性を共有していた。

気に入らなければ話をする必要も無い。

追放令出しても基本的には痛くも痒くもない訳だ。

 

如何であろうか?

特に経済的理由があるなら、反目していた理由としてかなり強く納得出来る。

と、各大名間で危機共有するだけの情報網が出来ていたのは少々驚きではあるが、それも直前迄、一向一揆ら国内宗教勢力と各々戦っていた事を加味すれば、必然的にそんな話にもなって来よう。

これも納得である。

こんな風に、各国王の代理や商人らと密接な関係を持っていたたら、最新技術を学ぶ機会もあったであろう。

我々が考える「宗教家は宗教だけでなく技術や文化の伝播者」と言うのも納得戴けるのではないだろうか?

政治の側面迄持ち合わせていたのだから。

単なる布教者では務まらなかった様で。

 

参考文献:

大航海時代と日本をめぐる海の攻防−ポルトガルとスペイン、そしてローマ教皇−」高橋裕史 『「海」から読みとく歴史世界』 高橋裕史/帝京大学出版会 2024.11.10