忙中閑有りでは無いが…東北史の勉強タイム

「北海道と東北の関係史」と銘打っても、どうしても歴史が積み重ねられている東北から見た北海道…こんな風に片寄る感じは否めない。
たまには、北海道の方も東北史をみて欲しいと発信した事がある。
発端は、北海道在住メンバーが、某資料館の学芸会から「北海道は飢饉と無縁」と聞いてきた事。
既にあちこち博物館らフィールドワークしている筆者的には「ちょっと待った」となる訳で。

https://twitter.com/tekkenoyaji/status/1223363946955984896?s=19

東北歴史博物館の所蔵品とパネルより、東北の飢饉についての発信。
こんなもん、片鱗のまた爪の先にも満たない破片にもならない…
何故なら歴史を知ら無かった筆者でも、東北…と言うより江戸期の飢饉については知っていた。

北前船らの物流革命により江戸期の急速な経済拡大に、諸藩の運営がついていけずなかった。当然、各藩の原資たる米は商人が押さえていく。相場制。
米価は乱高下を繰り返す。
それに冷害等の連打を食らえば、各藩共に年貢を調整しようとしても、出来なくなっていく…何せ当時は石高制だ。
農民が食うや食わずで努力しても、天候による減収をどうにか出来るハズもない…江戸期は、推定平均気温的には寒冷期。
当然、飢饉が発生し、一揆や打ち壊しに至ったのが大体の実状。
北海道へ米を主に供給した東北諸藩の実態のほんの一辺だ。
この時米を主食としていた北海道、その米を供給しようにもこんな状況であれば供給出来るか?…無い袖は振れない。
主食を依存しているのに、もはや同一経済圏の中に居ると考えられぬ方がおかしい。
勿論、場所制の交換レートがどの程度なら妥当だったかは検証が必要だろう。
だが、その交換レートが、米価の上下動に左右されるのは当然。何度も書くが、無い袖は振れない。数十万人死者が出ている。
こんな状況の中で、「北海道は飢饉と無縁」「場所制の圧政がー」「交換レートがー」
それをあっさり言えるのか?。
そういう社会情勢も加味するのが、教育だと思うが。

秋田の「農聖」石川理紀之助翁の緊急備蓄米の米蔵には「地獄絵図」が掲げられているそうだ。
飢饉が来ればこうなる。だから日頃から備えねばならない…この戒めの為。
餓死か?
一揆で斬られるか?
脱藩で処刑されるか?
この三択を迫られる事を想像すれば、地獄絵図位残る。

菅江真澄は江戸期の段階で、津軽や久保田の農民が、北海道のニシン漁に出稼ぎしていた事を描いている。その理由の一つは、ニシンの脂滓を田畑の肥料として得る為だ。ここには、北海道民との交流の中で貰ったアットゥシを野良着に使った出稼ぎ者も描かれる。

また、幕末のマシケ場所の交換レートの断片は、秋田県公文書館に公文書 (県-五一二)として保管されている。

これが、東北史の断片。
取引には、必ず売り手と買い手の二者が必要。
その二者を見ずして全体像を教育など出来はしない。特に「交易の民」を教育するのであれば尚更ではないのか?
我々の様なアマチュアでも気付くのに。

これだけ見ても解るだろう。
主食の依存…
何せ米は備蓄出来る。猟や漁に出られなくても飢えずに済む。
そこだけ見ても北海道と東北は古くから繋がっている。
繋がりが切れていたら、こんな歴史にはなっていない。