https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/03/185537
さて、色々と「新北海道」の記載内容について述べてきた。
この辺で、ことアイノが絡む部分を纏めてみたい。
①先史時代…
擦文文化期迄を先史時代、その後にアイノ期としそこからが歴史時代に設定している。
実は、筆者の「新北海道史」暴露に合わせ、それ以前の昭和14年発行北海道史を確認された方がいる。
それによると、時代年表は、658年の斉明天皇の項目から1921年の大正まで途切れることなく、特に中世以降は、
安東氏時代
前松前氏時代
前幕領時代
後松前時代
後幕領時代
と表記されているとの事。
つまり、北海道史の歴史観は、戦後に大幅に書き換えられていると言う事になる。
意図して、平安期の朝廷の動きと切り離す為に、先史時代としているのだろう。
まぁ先に進もう。
②中世…
「アイノ文化期」と表記されたここからが歴史時代。つまり、アイノ=北海道と言う事。
しかし、近世アイノと古代迄に住んで居た人々の間に、歴史的に、又、考古学上の深い関連性が見当たらないので「解らない」とした上で、「諏訪大明神画詞」の日ノ本,唐人と千島,樺太の近似点を根拠に「繋がっていたであろう」としている点。
ただ、これは逆に、「千島,樺太から擦文文化期途中から入ってきた人々である」と言う逆説もまた成り立ってしまう。
更に、昨今中世にアイノ文化人が居た根拠にされる事がある「コシャマインの乱」は、有ったか無かったか「解らない」としている点も、特筆すべきであろう。
尚、もう一点…「諏訪大明神画詞」以前に成立していた宗教施設(例えば有珠善光寺)らへの言及も殆ど無く、その痕跡については否定的。
③近世…
特に江戸期では、松前藩の運営とアイノ文化人との関係に頁を割いてある。
但し、昨今、英雄視される「シャクシャイン」に関しては、古書記載内容を中心に淡々と説明している印象。
むしろ、近江商人参入らで産業活性化したのを評価しつつ、場所制の不手際を強調している。
不思議とそれらは、幕府直轄で解消された様な表記である。この辺は北方警備含め、幕府や東北諸藩の古書らに記載ある為に、引用せざるおえないのだろう。
当然、同化政策らが、幕府直轄時代から行われている事も、松前藩は放任主義を貫いた事も記載される。
つまり、松前藩はよく言われる収奪やらの負の部分には関与せず、むしろ管理を放置したことが問題視されるハズなのだ。
管理をした幕府や東北諸藩の統治でそれが収まったなら、そう言う事になる。これも真逆。
むしろ、集団種痘の件や税制上優遇らも、記録上誤魔化しが利かぬ部分に関しては、しっかり記載される。
正の部分にも、視点は当てられている。
なら、何が問題だったのか?
A・まずは誰も読んでいない。
B・史書を筋として、立証,反証していない。
C・個別論のみに反証しかしていない。
D・自らの歴史観を立証して来なかった。
つまり、「何をどうしたいのか?」と言う、戦略的指向が全く無かったと、言わざる終えない。
結局、それで時間を費やされ、結果、ウホホイなる施設は出来た…それまでの事。
おかしな所、疑問な点があるのは、端から承知。
では、「何をどうして、どの様にしたいのか?」具体的なプランが練られていたとはとても思えない。
敢えて言えば…
上記の様なポイントのおかしな点は、糺す事は可能だろう。
物証を集め、合理的に組み立て、正しいであろう通史を組み立てていけば、勝手に個々の反証用の証拠は手に入るのだから。
個々の反証なぞ、時間のムダとも言える。
不合理な歴史なぞ、合理的な歴史を組み立てる事でへし折る事は可能。
むしろ、合理的に組み立てる為の物証探しに、手間が掛かるのだ。
新北海道史を筋として、不合理を排除し、合理的に組み立て行けば、現状言われている歴史の「代案」を作る事は可能であろう。
その辺は、今後アップしていくつもりである。