2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

負けじと三度「諏訪大明神画詞」を見てみよう…実は「諏訪大明神書詞」とは?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/02/205112 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/31/053428 この際なので「新北海道史」に於いて、唯一古代~中世と繋ぐ根拠とされた「諏訪大明神画詞」とななんぞや?…これを学ぼう。筆者が…

中身は眉唾?いや、実は乱自体はあったらしい…「野辺地町史」にある「蠣崎蔵人の乱」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/02/083230 この前項にある「蠣崎蔵人の乱」、「野辺地町史」に記載があったので取り上げてみよう。 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/16/185120 「蠣崎蔵人の乱」を取り上げるのはこれで…

北海道の対岸の状況はどうだったのか?-2…浪岡町に検出される「円形周坑」「環濠」そして「防御性集落」の片鱗

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/21/194535 さて、青森フィールドワーク第二編である。 本命の野辺地に向かう前に浪岡町に立ち寄る。 ここには中世北畠氏居城の浪岡御所(浪岡城)があり、「中世の館」と言う歴史民俗資料館でその遺物らが公…

北海道の対岸の状況はどうだったのか?…野辺地町史に見える古代~中世の文化到達の片鱗

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/12/21/144647 ここを前項とする。 昨今、青森県野辺地町がブログ上でもポツポツ登場している。 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/21/072428 ならばと思い、筆者は野辺地へのフィールドワー…

「亘理小史」に記載された古代~中世の亘理…伊達氏の海への到達と「九曜紋」「内耳土鍋」と言う断片

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/21/072428 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/06/08/070139 またもや備忘録として。 前項二つの断片として… ・南朝方として関東から北上した伊達氏は、陸奥湾の野辺地を飛び地として受領した…

生きてきた証、続報37..そもそも「かまど」とはなんぞや?

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/08/24/203100 ここら辺で、原点回帰してみよう。 筆者のミッションには、中世「竈」探しがある。 スタートは、生活習慣を追い始めた時に、余市「大川遺跡」で近世だが「置き竈(むしろ七厘やコンロか)」の出土…

この時点での公式見解-38…旧旭川市史にある「第一~三次近文コタン土地問題」が、民族問題の火付け役

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/10/093212 さて、前項の続きとなる。 なかなかエグい且つグダグダと思わせられ更に政府まで巻き込んだ事件でもある「第一~三次近文アイヌ地問題」と節が掲げられている。 前項までで、上川周辺のアイノ集…

この時点での公式見解-37…旧旭川市史にある「ここに、近文コタン誕生す」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/08/204935 前項に引き続こう。 旧土人保護法制定までの経緯を書いたが、ここまでで明治32年。 どんな時代か? 日清戦争が明治27~28年、日露戦争が明治37~38年。 丁度その真ん中位。 ハーグ陸戦条約が結…

この時点での公式見解-36…旧旭川市史にある「旧土人保護法」が制定されるまでの経緯と背景

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/28/203440 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/07/133243 ここを前項としよう。 二つの前項では「教育創成期の状況」「労働環境の変遷」、これら二つの背景を報告した。 ここで取り上げる…

この時点での公式見解-35…新旧「旭川市史」にある石狩川の特異性とその背景にあった「北海道労働環境の変遷」への説明

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/01/112430 ここを前項としてみる。 今回は、新旧「旭川市史」を並べて読んでみて気付いた事例。 まさか二冊同時に引用しまくれば紙面が足りないので要約する。さて、 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/…

この段階での公式見解-34…割と狭い人脈、近文は「川村モノクテ」と「金成マツ子」で繋がる

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733 前項をこことして話を纏めてみよう。 ここで、初代北海道庁長官岩村の呼び掛けで周囲からアイノ集団が集まったのが「近文コタン」の始まりと書いた。 その酋長は「川村モノクテ」、そして「川村…

この時点での公式見解-33…江戸初期の蝦夷衆の地域性と近代墓標の合致、だが疑問を提起しよう

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733 続け様に旭川の史書から学んでみたい。 この前項では、旧「旭川市市」での近世でのアイノ集団の移動に触れ、その中で少し墓標に触れたので、そちらを。https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entr…

大殿の御出座と新旭川市史にある蠣崎氏の勢力拡大…この際、安東側と蠣崎側記載を重ねてみる

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/24/170253 さて、折角「新旭川市史」に蠣崎氏側が勢力を拡大した過程がある。 なら、先の大殿の御出座…安東側の話と重ねてみようではないか。 実際この辺はポロポロ出てはくるが、新北海道史でははしょっ…

「何故こんな史観になるのか?」あとがき…何故こうなったのか?への考察

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/30/210708各史書での記載は解って戴けたかと思う。 問題はむしろ「矛盾ある仮説に何故辿り着いたか?」だ。 これが解明されなければ、矛盾の解消は不可能だからだ。史書や論文から、筆者が予想するに… ①幕…