ゴールデンロード…施政者が真に求めた物 ※追記有り

我々はある実験をした事がある。ある博物館に居る筆者が北海道縁の地名をSNS上で示し、遺跡の有無を確認してもらう。大した数の提示はムリだが、驚く程合致した。

図の左は、メンバーが訪れた北海道博物館の擦文遺跡の分布。
対して右は、広島大学地球資源論研究室のHPで公開されている北海道の鉱脈の分布図。平野や湿原を除けば、割と合致している…あるメンバーの一言、「鉱脈と擦文遺跡って合致してない?」これが事の始まりである。
歴史上の出来事がきっかけ。奥州藤原氏が築いた平泉、その中尊寺金色堂に使われた金箔の一部は北海道産であるとされており、金色堂でもその様な展示はある。
日本に於ける金の発見は、陸奥百済王敬福が、今の宮城県遠田郡と古書に記載される。
これが日本におけるゴールドラッシュの第一期だろう。秋田城の漆紙文書でも、甥に当たる百済王三忠が出羽介で赴任。割と東北では百済王の末裔が赴任していたりする。奈良大仏建立に当たり、日本全国の探索調査からそれらを北に展開していても、おかしくはない。それらの延長線上で、奥州藤原氏が金鉱脈を知っていても矛盾は生じない。

何故そう言い切れるのか?
雷公神社に伝わる「大野土佐日記」で、いきなり荒木大学なる甲斐の武将が鎌倉幕府将軍命で金の探索に入り、時を置かず幕府執権北条義時直属の蝦夷管領として安藤(東)氏が渡島,津軽の統治に向かう。
金の話が無い時に、話が出来過ぎる。
室町幕府成立でも、各地の鉱山探索は行われ(阿仁金山がこの頃)、更に江戸初期のゴールドラッシュ…
少なくとも、これら施政者の変更で必ず鉱山は動いている。
北海道が全く無縁のハズもない、何故なら奥州藤原氏が既に金の存在を捕らえているのだから。
奥州藤原氏は、金は一切経入手で莫大な量を使った事は古書にある。
なら、鎌倉幕府らは?
まだ謎は尽きない…
が、随所に金の輝きが見え隠れするのは確かなのだ。

日本に於けるゴールデンロードは、既に平安期には、北海道と繋がっていると我々は考えている。
それならば、施政者が放っておかなかった理由として十分なのだ。


※追記−1
一応、書いておく。
文献史学系では、大野土佐日記は一部から「偽典」扱いなのは、上記記載の段階で把握済。
又、実はそれに類する事があったのではないかと、種々アプローチされている方々が居るのも検索すれば出てくる。
我々は後者のスタンスに近い。
全く火の手の無いところに煙が立つか?、なら、それを敢えて調べてみよう…こんなスタンスが大事ではないかと考えている。
SNS上で「これが通説」と言ってくる方は居るが、我々にはそんな言葉は何の意味もなさない。
その「通説とやら」に疑問を持っているから学んでいるのだから。
現にその「通説とやら」が穴だらけなのは、史書記載,発掘調査報告書,北海道現地の資料館らで確認済。
漫画「スラムダンク」の安西先生の台詞を借りよう。

「諦めたらそこで試合終了ですよ?」

我々が敬意を払うのは「挑む意志を持つ者の言葉」。
そうでない者の言葉に反応する時間なぞ無し。