少なくとも某マンガより壮大…これは「妄想」としておく

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はだかの王様」を知っているだろうか?
勿論、アンデルセン童話である。
固定観念に縛られれば、「王様は素晴らしい衣を纏っている」と言わざる終えないが、我々検討グループには、そんな概念は無いし、背負う学閥も一切無し。
故に「王様は裸である」と言えてしまう訳で。

まだ物証が不足しているので「妄想」としておく(仮説としない所がまた謙虚)。

古代①(~平安)…
アシハセの侵攻に手を焼く「渡島衆」は「津軽衆」と共に、船で都を目指す。
恭順の意を示し、派遣される事になったのが「阿倍比羅夫」。
朝廷は、湊を抑えつつ北進、渡島到着し、後方羊蹄にも拠点を築く。陸奥を中心とした開拓部隊を派遣し、点(湊)から面(勢力拡大)へと進める。
渡島衆の目的は、政情安定と米ら備蓄可能な食料…
朝廷の目的は、北海道の産物と金銀銅らの鉱物…思惑は一致。
後、統治機構や物流拠点として、秋田城築城し、そこで管理を行った。
元慶の乱の際は、秋田城(朝廷)側へ援軍している事から、矛盾は無い。

古代②(平安)…
元慶の乱以後、律令制の崩壊や官製技術(製鉄や須恵器,建築ら)の流出で、地方豪族の力が朝廷を逆転。
手を組む先が、清原,安倍氏へ変わる。後に奥州藤原氏がそれを束ねる。
この段階で渡島と奥州はほぼ一体。産物と金銀銅をバックに、日本海海運に乗り出し、力をつける。つまり、奥州藤原氏の海運と水軍は、北海道~東北の主に日本海側の連合船団。
平泉の繁栄を見れば、説明可能。
取引の国際通貨は金で問題は無し。
が、平泉陥落で藤原氏が滅びる。

中世(鎌倉~室町,戦国)…
奥州藤原氏により都市形成されつつあったが、その滅亡により、鎌倉方が入ってくる。
これは『松前旧事記』らでも記載あり。
葛藤を経て、十三湊に拠点に津軽安東氏がそれらを束ねる事に成功。
湊の管理…蠣崎氏が担当。
船の運航…渡島衆→奥州藤原の水軍→東西の蝦夷衆で、海を巡り繁栄を向かえる。
だが、南部氏との陸戦に敗れ、津軽安東氏は蝦夷地へ逃れるが、再戦で敗北。
南部氏は傀儡として、安東政季を立てるが離反し蝦夷地へ。
後に檜山安東氏として統括へ。
この段階で、南部氏は独自ルートを開く事を画策したが、懐柔に失敗。
南部氏が島渡りの阻止と安東追撃が出来なかったのは、水軍力の差を理解していたから。
船の数…
安東>南部
馬の数…
安東<南部
それぞれの戦力差は明らか。
通商も、北周りで満州~半島~宋らへの運航も、北陸~九州~宋らへの運航も可能。
蠣崎氏と蝦夷衆の力関係は、安東舜季島渡りでの「夷狄船舶往来法度」で明らか。
内容的に、蠣崎氏にとり屈辱的内容を安東舜季は蠣崎氏に飲ませていた。
つまり、同等程度に扱っていた。
ここまでで、出土遺物にアィノ文化の痕跡は無い。
よって萌芽の可能性はあるが、文化の完成は無い。

近世(安土桃山~江戸期)…
蠣崎氏は蝦夷衆と共に奥州仕置に参加。
事前根回しで、独立に成功の上松前を名乗る。
秀吉,家康共に水運利権を得る為に、松前統治権限は与えず。
目を付けたのが伊達正宗。
松前氏と養子縁組らを結ぶ約束し、松前氏は後ろ楯を得る(七男を伊達松前氏へ、後にその長男が三代目片倉小十郎を名乗る)。
湊の関税しか収入が無い松前氏は、改めて南蛮技術により鉱山開発に乗り出すが、同時に時節柄、鉱夫と共にキリシタン南蛮人の大量流入が起こる。
同時に、禁教令や鎖国の方針により、外洋船が禁止され、蝦夷衆は船を失い勢力を弱める。

……長いので、この辺で。
この辺りからは、国際情勢が絡み出す。
英西戦争も…
ロシアの極東進出も…
英蘭戦争も…
1600年前後~1700年、つまり、安土桃山~江戸初期に起こっている。

既に、スペイン,ポルトガル,オランダが我が国に到達し、布教の名の元に工作を行い、キリシタンは増加。
それらが影響を与えないハズなんか…
無いですよね…
ましてや、広報されているアィノ文化が完成出来るとしたら、最低でも北前船の運航を待つ必要がある。
それどころか、楽器に至っては、安政に北海道で自生の竹が育つ事や幕末~明治の絵図,巻物にすら殆ど描かれてはいない。
としたら?
その時期まで、文化完成し得ない事になる。

この様な「北海道史」は、北海道~東北の関係史の視点で見始めた去年の年末には既にたどり着いていた。
はだかの王様」に踊らされなければ、こんな「妄想」は幾らでも出来るし、「物証」を集めるだけ。
今迄書いてきたそれぞれの項は、この断片なだけ。
新規の話なぞ、一つも無い。
従来解っている事を「蝦夷イコールアィノでは無い」と言う視点で繋げたに過ぎない。
でも、これだけで、奥州藤原氏や安東水軍の謎さえ解けてくる。
湊の特定だけ済めば、立証可能だろう。


さて…
比べてみよう。
政府援助の広報や某マンガと、我々に見えている北海道史のどちらが壮大かを。
藤原清衡の指令で、宋に一切教を受け取りに行き…
南部氏に討たれそうな津軽安東氏を全艦隊で迎えに行く…
中世出土の甲冑を身に纏い、船のミヨシに立つ武将の姿を想像出来るなら、大河クラスの物語でも書けるのでは?

まぁ…
矛盾はほぼ無い。
物証が断片だけで、足りないと考えるので「仮説」とすら言ってはいないだけ。

単なる「幻想」レベルでも、この程度はやって戴かないと…
税金使って「幻想」描くなら。