突然ですが、少々長い前提文を…
秋田って酒豪揃いのイメージ…
出張する聞き酒させられた事あった…
筆者も夫婦で飲み歩いていた。
すると、会社同僚や隣の席の方に妙に羨ましがられた。頻度は結構高い。
理由は簡単。
実は奥さんが下戸(酒が飲めない人)の方がかなり居た。
逆に、奥さんがザルで旦那さんが下戸のケースもある。
恐らく、下戸の人口比率は全国レベルと変わらないのでは?
飲める人の許容範囲が相対的に高いので、そんなイメージで勘違いされているんだと思う。
ここ迄が長い前提。
これは、考え方,視点の問題。
秋田県民は酒豪が多い…
イメージによりそうはなっているけど、秋田県民=全て酒豪である…とはならない。
だって下戸は居るし、許容量が低い方も居る。
相対的に酒豪である…は成り立つが…
秋田県民は酒豪である…は成り立たない。
まぁ、算数の「集合」でも思い出して頂ければ。
さて、このブログは北海道と東北の関係史。
北海道に当てはめてみよう。
北海道には「蝦夷」と表現された人が居た…これは古書にある。
北海道には「アイヌ」が居た。これも事実。
で、誰か「蝦夷」=「アイヌ」と、古書に表現されていますか?
そんな表記はされてない。
アイヌの独特な風習を紹介した方々も、そんな表現はしていないと思いますけど。
彼らが表記してるのは一貫して「蝦夷」。
既に、北前船は就航しニシン漁で港が活況を出す頃の話。
加賀屋文書でも、その地域のの戸数,男女別人数までは書いてあるが、それまで。
わざわざ分けて書いては居ないし、アイヌ系で加賀屋の重要な仕事をしていた方も居たかと思いますけどね。
つまり、「蝦夷」の中に「アイヌ」は居た…これは成り立つが、「蝦夷」=「アイヌ」は成り立たない。
だって、書いてないし、アイヌ自身が「我々は蝦夷じゃない」と言っていたのでは?
我々が人口比率に拘るのはこんな理由…
今、言い切れるのは「解らない」だけ。
百かも知れないし三かも知れない。
それを指し示す物は無いし、アイヌ系の方でも言及される方は居ない。
何故?おかしいと考えるが…
「蝦夷」と言う呼称は、時代と状況でその対象を変えてきた。
平安と鎌倉と江戸期では違う。
つまり、同じ「蝦夷」と言う単語を使っても、書き手が伝えたい事が変わっている事を理解すべき。
人口比率…
改めて研究者の奮起を期待する所である。
尚…
だからと言って上記内容が、「アイヌ」に対する差別の有無を担保するものでないも書いておく。
人口比率とそれらは別問題。