コシャマインの乱、「内容議論」の無意味…逆に「前提条件」の議論が必要

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/21/152153

たまたまSNSで話が出たので、敢えて新北海道史 第一巻概説の考察を続けてみよう。
端的に結論を言えば、議論するだけ時間のムダだと理解出来よう。

「史上最初の北海道アイヌと和人との争いだとされているが、奥羽北端におこった動乱の余波だったと思われる。」
「しかし信広の出自も、コシャマインの乱そのものにも他に信拠すべき資料がなく~後略」

「新北海道史 第一巻概説」北海道 昭和五十六年三月二十日 より引用…

これが前項で紹介した一文。

実は引用の後略に直接続く文はこうである。

「、かえって南部にはその前年の長禄元年、下北半島によった、根城南部氏の目代武田信義の五代目と言う蠣崎蔵人が八戸南部氏に破れて蝦夷島に逃れたと言う議論がある。大切なことは永正一〇(一五一三)年上の国を中心に勢力を張っていた蠣崎光広なる者が大館を攻めて安東氏の代官を殺し、翌年ここに移り、大館を修築して徳山と名づけ、後秋田の安東氏に働きかけてその地位の公認を受け、諸国から来る商船・旅人から税を徴し、その過半を安東氏に納めたという事実である。」

「新北海道史 第一巻概説」北海道 昭和五十六年三月十日…より引用

敢えて、略せず引用した。
この後、本文では、瀬棚酋長(ハシタインと思われる),知内酋長(チコモタインと思われる)とよしみを結び、それぞれに西蝦夷地,東蝦夷地を統括させ、交易船が集まる様にした事や、北陸経由で畿内と結びついた事、河野,小林ら北陸起源の豪族が蝦夷との衝突で勢力を失う事で事実上トップにのしあがった事らを書いている。
但し、浪岡氏や安東氏の勢力を背景にだ。
秀吉の直臣になって初めて独力が可能になった事でその一章を結んでいる。

つまり新北海道史では、「コシャマインの乱や「蠣崎蔵人の乱」の様な、起こったか起こらなかったか確定出来ない内容より、そのきっかけからどうやって蠣崎氏が力を得たか?の方が大切だ…と言っている訳だ。

実際、編纂の際に、あったか解らぬものの内容を考察するだけムダ。
後の発掘ら研究を待てば良いのだ。
コシャマインの乱の有無は、十二館を発掘すればある程度立証出来てくるだろう…そんな含みを持たせていたのだ。
勿論、新羅之記録が蠣崎氏によるプロバガンダの要素を持っている事を見抜いた上だ。

結局、それを「有った前提での仮説」が、いつの間にか「有った事」として議論されていた訳だ。
別に議論する事を否定はしないが、事実を並べて、時間軸上どうなのか?配置,全貌を見るのが先であるハズなのに。


では、更に考察を進めよう。
ここで、引用文の冒頭部分に着目しよう。
コシャマインの乱」は北海道アイノと所謂和人の最初の衝突だと言っている。
だが、仮にこれが成立しない…又は成立したとしても、コシャマインがアイノでは無い場合、古書上でのアイノ文化を持つ人々の出現は、文書上で百~二百年は下ってしまう可能性が出てくる。
この場合、後の時代でこんな事が背景が出てくるのだ。

最上徳内らは言語習得したが、古来東北とのやり取りに苦労した話が記録にない…
②アイノ文化完成は、北前船が必要…
北前船就航後辺りの年代より、ロシアによる沿海州進出が本格化している…
④明治の樺太らの移民がどうであったか?参考になる。この時点でチセは独力開拓者の家と見分け不能
⑤元の本道人の宗教的文化は直前のゴールドラッシュの段階で、人口インパクトを鑑みれば、金堀に混じるキリシタンに破壊されてしまった事も有り得る。
⑥アイノ文化を持つ人々は強い世襲制だと言う割に、乙名の血統がハッキリしないがこれも、幕府直轄での同化政策の一つである帰俗優遇策でぐちゃぐちゃにひっくり返る危険性がある。

これらを繋げれば…
江戸中期にロシアの圧迫により、樺太や千島から逃げてきた人々を、元来の本道人の酋長達は狩りの使役層として受け入れた(勿論、江戸期前から居たであろうが)。
その人々は、旧来樺太,千島,カムチャッカ,シベリア等で持っていた文化を持ったまま、元来の本道人から習った文化や北前船流入した本州文化を暮らし始めた。

これが「アイノ文化」…
元々の上下関係らも安政幕府直轄時に、帰俗優遇策でひっくり返す事も可能だ。
これは、明治期の樺太,千島交換条約の際に北海道へ移民した人々も含めても矛盾は生じない。
一応、仮説的には筋は通ると思われるが。

同時に、元来の本道人が、東北に住んでいた人々に近い生活をしていれば、ほぼミッシングリンクは消え去る。
仮に江戸期前に流入した人々が居たとしてもだ。

たったこれだけでも、この程度の推定を立てる事は可能なのだ。
今まで、文化の源流を追う事をしていないツケであろう。
勿論、先住性なぞあろうハズもない。
ミッシングリンクを含む一部の主張より、合理的だと思うが、如何だろうか?
勿論、この話も仮説,推定の域は出ない。
結局は、一つ一つの一次資料を積み重ね、真実を追うしかない。

アイノ文化を持つ人々の問題は、この様なそもそも論がまるで解明されぬままに、議論を重ねている事こそ問題なのだ。
前提条件が成立するか?成立しないか?…
まずそこからだ。
前提条件が成立しないなら、現在アイノ文化について語られる話なぞ、机上の空論なのだ。

今迄も、コシャマインの乱を根拠に語る方が居たら、一言こう言えば良かっただけなのだ。
「新北海道史には、コシャマインの乱は有ったか疑がわしいとの記述があるが、何時の発掘でそれが有ったと立証されたのだ?」と。