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さて、新北海道史の検証3項目。
コシャマインの乱がどう描かれているのか?
江戸期のシャクシャインに関しては、何故か英雄伝説的に語られる事はあるが、むしろ此方の方が伝わる話では規模がデカい。
時は十五世紀、ある事件をキッカケにコシャマイン率いる蝦夷の一党が蜂起、道南十二館の内十は落城し蠣崎氏を追い詰める。そこで客人の「武田信広」が出陣、コシャマイン親子を討ち取る…
一応、「新羅之記録」では、こんな設定だと思ったが。
では…
「これらの乱については、大体以上のような記事が、松前家に残るもっとも古い記録に記されているだけで、他書には見えず、詳しい具体的なことも明らかにされていない。」
「北海道史第二巻通説一 」北海道 昭和四十五年三月二十日 より…
あら?
更に概説の方でも…
「史上最初の北海道アイヌと和人との争いだとされているが、奥羽北端におこった動乱の余波だったと思われる。」
「しかし信広の出自も、コシャマインの乱そのものにも他に信拠すべき資料がなく~後略」
「新北海道史 第一巻概説」北海道 昭和五十六年三月二十日 より…
そういう訳で、
あったか無かったか?
誰の仕業か?
それらを断定していないので、この段階では、アイヌの乱とも断定不能。
勿論、更新で変わってるかは不明だが、最新版は明治以降らしいので、ここの改訂はされてはいないとは思うが。
因みに、道南十二館。
wikiではあるがその内の原口館では、その比定地を1990年と1992年に発掘調査(松前町教育委員会)したそうだが、幅約3m、深さ約2.5m、延長約120mの空壕が発見された様だが、空堀の内部発見されたのは、竪穴住居跡と青苗文化に属する土器などで、15世紀頃ではなく10~11世紀頃の防御性集落であったとの事。
実際、道南十二館の比定地には不確定な点があり、道史を裏付けてしまった様である。
結局、コシャマインの乱は有ったか無かったかすら「解らない」が現状。
つまり、ここでもアイノの蜂起とは断定出来ないが今のところになる。
今後の調査に期待しよう。
参考文献:
「新北海道史 第二巻 通説一」 北海道 昭和四十五年三月二十日