観光アイノをどう評価していたか?、あとがき…「古いアイノと新しいアイノを分ける」意味と、吉田菊太郎翁が語る「函館市民の祖」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/25/212430
少し続けてみる。
吉田菊太郎翁にして、荒井源次郎氏にして、何故「古いアイノと新しいアイノと分けるべき」…に拘るのか?
勿論、それはよく話に出る「迫害,差別」らの根幹に対し、彼等がどう考えていたのか?…ここに現れるだろう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/10/204415
勿論、「古いアイノ」に対する松浦武四郎らの記述は荒井氏も言及している。
その上で、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/20/193847
荒井氏も松前藩時代より、幾分幕府直轄時代の方を評価している節があるのは、これら対応策が古書らで残り、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/17/211327
幕末に、皆で豊かさを求め、役人、請負人,支配人と蝦夷衆が一帯となり開拓を進めていた事をそれなりに評価していたから…かも知れない。
何しろ、荒井氏は一次直轄→再度松前藩統治となった事をボロクソ書いている。

では、わざわざ二つに分けるべきと指摘する「新しいアイノ」への「差別,迫害」らについてはどうなのか?
これ…
実は吉田菊太郎翁が「アイヌ文化史」で当時の状況を解説しており、何故二つに分けて「現在の「新しいアイノ」を理解して欲しい」「観光アイノは同族の敵」と指摘するか?の基本的な考えを書いている。
引用に当たり、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/28/205158
彼等の歴史観金田一博士のこれに近く、往古より東日本に住んでいた「蝦夷の末裔」と言う事が前提になっている。


「扨てその間の消息を物語るに現行の北海道旧土人保護法の上ではアイヌ人のことを旧土人と呼んでゐるが是は救恤(筆者註:きゅうじゅつ、貧乏人や被災者を救い恵む事の意)を行ふ場合に於ける一般和人に対する事実上の区別に過ぎない。故にその族籍上に於いても其の他法令上に於いてもアイヌとか土人とかの区別を表したものは一つとしてなく正しくは日本人であり社会人である。一般人同様憲法上に保証されたる権利を享有し得るは言ふ迄もなく国民に負担されるすべての義務に服するのである。」

「此の傾向は(筆者註:東日本に棲み地勢上文化が遅れた為、China王朝で使われた「東夷,毛人」を当てられた傾向の意)今日に於いても一洗されず殊に地元北海道に於いては一層著しきものがあつたので進歩した男女になると如何に同化向上してゐても郷里にゐては家系が判明し素性が知れてゐるから頭上りがないのみか就職するにも結婚するにも色々支障を来すと云う状態であるから素性の知れない他府県に向つて転出す。津軽海峡さへ渡つてしまへば東北にしろ北陸にしろ千年も前にアイヌの姿は同化し切つてゐる土地故にアイヌの事なんか忘れてしまつて差別待遇もしなければ素性も判らぬ。そこで始めて大手を振つて世渡りが出来ると言ふ事もあり「アイヌ人は須らく(筆者註:すべからく)津軽海峡以北で住む勿れ(筆者註:なかれ)」とは同族青年男女の豪語する処でもあつたが蓋し(筆者註:けだし)当然だと言はざるを得ない。」

「私が知った範疇に於いても道内市町は勿論本州都市にも相当のアイヌ人が居住してゐるけれ共是等の都市から一人の土人統計も計上されてゐない。安政年間迄三千人近くも居たと云はれてゐた国後択捉島アイヌ人は海路の関係で概ね函館に渡つて現在の函館市民となつたと云はれるが今日函館市の人口統計にはアイヌ人は一人もゐない事になつている。斯くしてアイヌ人は移動に依つて静かに而も最も自然的に同化し否同化し終つてゐる。洵に結構な事であり、社会の為めにも同族の為にも真に幸福を齊す所以である。」

アイヌ文化史」 吉田菊太郎 昭和33.5.10 より引用…

基本的に吉田菊太郎翁は「早くに同化すべきだった」と述べていたので、筆者的には驚きはしない。

①法的には全く区別はされていない
②「滅びゆく」や「文化が低い」らのイメージが先行し、なかなか就職,結婚らに踏み込めず
③若い世代は北海道から他地域へ行き、自立の道を進む…これが盛んに言われていた
④行った先で幸せを掴み豊かな暮らしが出来ているなら誠に結構な事だ
⑤どうしても、身近でお互いの素性が解る北海道においては「古いアイノ」イメージ払拭が出来ていない
⑥上記①~⑤を踏まえ、古いイメージを匂わせる「旧土人保護法」も「観光アイノ」も止めてしまえ…
こんな感じになるか。
その上で…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/12/203509

自由平等友愛の
旗幟は高く掲りけり
旧き衣は脱ぎ捨てて
和人土人の区別なく
水平線の只中に
同化向上の一線を
いざ活き抜かん同胞よ

と、説き、北海道に住む同族の若者達にエールを送った…
これが吉田菊太郎翁の主張だろう。
荒井氏も「新旧アイノの違い」や「観光アイノは敵」とする事から、元々は概ね同様なんかと思う。
昔の世相を鑑みると…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/28/203440
教育に関して。
読み書き,会話が厳しくば、雇い入れる方も二の足は踏むだろう。
酒に溺れ働かぬイメージが付きまとった若者に、当時の親が自分で手塩に掛け育てた子の結婚を許すか?を考えると微妙だと思う。
歴史観の正否は別にして、「もう自立可能」と自認し、活動のトップランナーであった吉田翁や荒井氏にすれば、なんとか改善したいと考えて然るべし。
彼等が「新旧アイノの違い」や「観光アイノは敵」とした理由はこれではないだろうか?
吉田翁が調べたところの幕末以降の北方四島や道東での人口減少や「加賀家文書」にも記述がある労働世代の減少の理由はこんなところがその理由なんだろう。

彼等が言う「観光アイノ」の弊害、現状各施策と比較してどうだろうか?
彼等の主張と比べれば、かなり微妙だと思うのだが。


さて、然りげ無く吉田翁が記述しているが、彼が理事長として調べた限りでは、国後,択捉島の人々は函館へ移り住み、「クリル土人」「アイノ」「旧土人」を名乗らず、函館市民の祖として同化していったと言う。
確かに、開港して都市化が進む函館なら、従来と全く違う職業に付き、頑張れば出自なぞ気にせずに生きていけたかも知れない。
SNSでよく聞く話…「昔から敢えて昔の事は相手に尋ねない」と言う話も何となく納得。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/03/074515
グループで話す様になり始めてから、ずーっと言ってきた人口インパクトの中の「明治以降の北海道人口の倍々増」の一部は、期間限定ではあるが、各場所らで把握しきれなかった千島や道東からの道内への移動,拡散も一部あるのかも知れない。
道東等で減った分を東北らからの移住や出稼ぎ等で補充しつつ。
ここでも、幕末~明治での人口移動の痕跡は見える…と言う事かも知れない。

上記は、筆者が学ぶ過程で捉えた見方なので、全てに当てはまると言うものではない。
が、断片として、これも「成立しうる」とみて欲しい。
「差別等は受け手の感情による」と言う前提なれば、吉田菊太郎翁らの指摘も無視は出来まい。

その時代の限定された世俗の中でも、誰だって「幸せを求める権利」はある。
血統や習慣から離れ、稼ぎ、子を育て、幸せを得た人々を責める事なぞ出来ぬハズ。
吉田翁が言うように、それは結構な事だと言えるのが本当は素晴らしい事なんだと思うが。

吉田翁は何ら「権利の主張」はしてはいない事を付記しておく。







参考文献:

アイヌ文化史」 吉田菊太郎 昭和33.5.10

アイヌの叫び」 荒井源次郎 北海道出版企画センター 昭和59.8.20