樹皮繊維も特別なものでは無かった…秋田県史にある「生地の変遷」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/11/15/141716

さて、実は、たまたま発見してしまったのは「ホデキ棒&梵天」だけではなかった。
日頃、麻や苧に目がいきがちだったが、アットゥシの生地である樹皮を織る…これも特別な物ではなかった。

という訳で、また「秋田県史 民俗工芸編」登場である。

「しなのき科のシナノキは本県ではマダ~註釈略~という所が多い。皮を利用して今では、ケラの材料としているが、古くはその繊維で布を織つた。長野県ではこの布を献上したらしく、この木が多いところから信濃(しなの)という国の名も、それによつたとも言われている位である。本県でもこの布をマダヌノ、マダノノまたはシナノノとも呼んでいる。」

「品質は麻より劣るので、麻の栽培が盛んな地方では、とうにすたれたが、新潟県では山形県境に近い雷という所で手内職に織り出されている。」

「旧小正月にヨリソメと称して、附近の女だちが、炉の周囲に集まつて、むだ話に花を咲かせて、ヨリ車を廻わす光景は想像しても、ほほえましい。」

「一機(約三十尺-九メートル)のマダ布を、織るのに~中略~一と冬に二機位が精一つぱいというところであつた。」

「マダ布の用途は雪袴その他の労働着などに用いられるほかに、畳のへり、米袋、豆腐や酒をこすにも使われている。衣料のために、麻とのまぜ織りの縞などは、実に美しい。」

醸造家の麻のしぼり袋をシナノ袋と呼んでいることは、かつての名残りであろう。」

「昭和十五六年頃まで、仙北郡西木村辺で織り出されていたし、角館町の店で網として販売されていることも、よく見受けられた。マダ網は非常に丈夫なので、ニシン漁にも用いられたらしい。」

「北海道日高地方のアイヌ達がアツシに用いているようなヨリのかかつているマダ布が、由利郡の矢島産として、東京の民族博物館に保存されているなど、本県としても参考になる好資料である。」

秋田県史 民俗工芸編」秋田県 昭和三十七年三月三十一日
より引用…


信濃国の語源説あるのなら、もう古代から使われ、朝廷献上品だったと言う事に…
もう古代迄遡ると言う事だ。

同様の木質なら製造可能な訳だ。
シナノキよりオヒョウの方が質が良いらしいが、だが、麻,苧には及ばない。
手間や繊維も膨大で且つ品質が劣るなら、そりゃ廃れ、一部を除き、麻や苧へ切り替わるだろう。
一般の衣服用繊維も、樹皮→麻,苧→木綿と変遷していく過程が良く見える。
北海道に置き換わる繊維が無ければ、そりゃ残ると言う訳だ。

ただ、気になる事は…
縄文人は、麻の栽培はやっていた。
その実は、食用や酒作りに利用したであろう事が、青森の三内丸山遺跡由利本荘の菖蒲崎貝塚の発掘で指摘されている。
つまり、東北でのこの繊維の変遷が、ここでは日高アイノに置いては無かったと言う事になる…何故?

まぁここも、縄文人→続縄文→擦文と言う、北海道史のメインロードから外れる存在だからなのかも知れない。

オヒョウの樹皮を使ったアットゥシ生地もまた、日本の繊維史の中では、特徴は持てど特別な存在ではないと言う事になる。
必然なのだ。