https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/04/26/210548
「この際、「内耳土鍋」を見に行こう!…「旧伊達氏領」の内耳土鍋ってどんなもん?」…
忘れてはいけない事なので、敢えてあとがきとしよう。
関連項はこちら。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/01/31/162842
「「線刻を施す食器」は、勿論在地の物…似たようなものは秋田にもある」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/09/28/194019
「南部氏の城館を追う…安東vs南部抗争と北海道史との合致点」…
ぶっちゃけ「アイノ文化の象徴の一つとされる「シロシ」だが、似たようなものは日本中にある」…だ。
確かこの手の刻印は、平安の須恵器らの時代から施された物が検出され、「+・♯」らはドーマンとみなされているかと。
と、言う訳で、山形での事例を紹介しよう。
結論…「有る」だ。
珍しい事に、杯の内側に「+」の刻印。
高畠町「合津窯跡」からの出土の様だ。
「古墳時代から中世の考古資料」展PDFを開けば「合津窯跡」は8世紀位の須恵器窯出土の展示をしていると記述がある。
現状遺跡についての記述はこれまでだが…
色がこれだけ赤っぽいので、須恵器なのか近辺で焼かれた土師器なのか?
ちょっと左の数点とは趣が異なる気はするが、質問を失念してしまったので、現状はここまで。
側面にヒビが入っているので、産地出土だと解る。
高畠町は山形でも最古級の須恵器窯跡がある様だ。
又、福島の伊達市周辺では13世紀位の陶器窯跡らがある様だ。
故に瓦質土器らも盛んに作られたのだろう。
出土状況等が解らないのでここまでだが、仮に中世もこれを行っていたなら「アイノのシロシだ」と言うのは止めた方が良いかも。
理由は簡単だ。
「ここが伊達氏の領地だった」事が問題。
朧ながら千島,道東と「内耳土鍋」から関連性を見てきているが、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733
「この時点での公式見解-29…ムックリの理由と「シロシ(家紋)に見る移動の痕跡」、そして伊達氏の影」…
ウタサ紋は、オホーツクや道東、特に十勝との関連性が指摘されている様で。
で、浜益の「伊達シロシ」…
これ…近世〜近代だけではなく、中世でも成立してしまうのだが…
良いのだろうか?
別に北海道固有のもんでは無い…これだけは言えるであろう事は…解って戴けたと思う。
これも「類例の学問」であるのにも関わらず、本州、特に東北との類例比較をやっていない証左と言えるであろう。
いずれ、また見つけたら報告しよう。