時系列上の矛盾…イザベラ・バードが描いた「アイノの長の箝口令と外国人の暗躍」

https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/03/30/195833
実は、メンバーとのディスカッションの中で引っ掛かった事があった。
秘密主義的な何かを感じていたから。
この書籍の著者が引っ掛かりを持っていたように、筆者は感じていた。
その後、フィールドワークやガチ研究書等ばかりに力を入れていたので、少々意外かも知れないが、ちょっとその周辺を引用してみよう。

「彼らの言うには、首長のベンリはこの家に好きなだけ泊まっていってほしいのですよ、とのこと。」
「自分たちは失礼するので、あとはひとりで食事をして休んでくださいと首長の母親以外は全員その場を退きました。この八〇歳になるいっぷう変わった魔女のような老婆は、黄色みを帯びたもじゃもじゃの白髪をしており、しわだらけの顔には頑としてこちらを疑っているところがあります。私は悪魔の目に見つめられているような気になりました。というのも、老女はそこに座り、わたしをひたすらじっと見つめているのです。そして生命の糸を紡ぐ三女神のように樹皮の糸を結び合わせ、息子の妻ふたりをはじめ機を織りに入ってくる若い女たちを油断なく監視しています。~中略~よそ者に対して懐疑的なのはこの老女だけで、わたしがここを訪れたのは自分の部族にとってまったくよくない兆候だと考えているのです。」
「日本語のわかるシノンディともうひとりの男がお辞儀をし、反対側にいる年長者たちに(いつもそうするように)わたしが言ったことをアイヌ語に通訳しました。それからシノンディはこう言いました。「自分も、もうひとり日本語のわかるシンリチもこの人に自分たちの知っていることを全部話すつもりでいるけれど、なにしろ若いので、教えてもらったことしか知りません。正しいと思っていることを話すつもりではあるものの、首長は自分たちよりもよく知っているし、首長が帰ってきたら、自分たちが話したのとはちがうことを話すかもしれない、そうすれば、自分たちは、嘘をついたと思われてしまいます」。わたしはあなたがたの顔を見て、嘘をついていると思う者など誰もいないと言いました。彼らはとても喜び、両手をを振って繰り返しひげを撫でました。話に入るより先に、彼らは自分たちの風習について話を聞いたことは日本の役人には黙っていてほしい、と懇願するようにわたしに言いました。さもないと自分たちがひどい目に遭うというのです!」
「彼女は家のなかで大きな支配力を持っており、炉辺でも男性の側に座って大量の酒を飲み、ときおりわたしに多くを話しすぎると孫のシノンディを叱ります。そんなことをすると、自分たち一族に害をもたらすというのです。」
「女のうちふたりは、男たちの前ではそうとは明かしませんが、日本語のできることがわかりました。このふたりはたいへんにこやかにまた活発に伊藤にぺちゃくちゃと話しかけました。その間、年老いた運命の女神はもじゃもじゃの眉の下からふたりをにらみつけていました。」
「彼らは妙に日本政府に対して恐怖-いわれのないものであってほしいとわたしは思っているのですが-を抱いています。フォン・シーボルト氏は官吏が彼らを脅したりこづきまわしたりすると考えており、それはありうることですが、わたしは実のところ、開拓使アイヌに対して好意的であると思います。開拓使は被征服民族としてアイヌが受けている過酷な制約を取り除いているほか、たとえば米国政府の北米インディアンに対する扱いよりずっと人間らしく、また公正に彼らを遇しています。とはいえ、彼らには知識がありません。子供に飲ませる薬をヘブバーン医師に送ってもらうとわたしが言ったところとても感謝してくれたアイヌが、けさやってきて、薬を送ってもらわないでくれと頼むのです。「日本政府が怒るから」とのこと。このあと彼らはまたもや自分たちの風習について話したことを日本政府には言わないでくれと懇願し、それからみんなで熱心に話し合いはじめました。ついで副首長が口を開き、あなたは病人に親切にしてくれた、あなたにわたしたちの神殿をお見せしたい、外国人はだれも見たことのないものですとわたしに言いました。けれどもそうするのは非常に不安で、何度もわたしに「これを見せたと日本政府には言わないでください。さもないとたいへんなことになります。」と言いました。」
「前略~首長のベンリが到着しました。~中略~彼の態度はとても気まぐれで、またひと言発したあとに一元が続くこともよくあります。彼は自分が戻るまで質問にはいっさい答えるなという村人への伝言を伊藤に託したのですが、伊藤は大いに機転をきかし、それを村人に伝えてなかったばかりてなく、わたしにも言わなかったのです。ベンリはわたしにいろいろ話してしまった若い者たちに腹を立てました。彼の母親が密告したのは明らかです。わたしはこの首長がほかの人々ほど好きではありません。彼には長所がいくつかあり、なかでも正直であることはとくに彼の長所ですが、これまでに出会った四人か五人の外国人に毒されており、冷酷で飲んだくれです。」

イザベラ・バード日本紀行(下)」 イザベラ・バード/時岡敬子 訳 2016年1月15日 より引用…

手持ちなので、優先順位は後になり、熟読したとは言いません。
ずっとこの第四一信の部分が気になっていた。
何故、アイノの長は箝口令を敷いていたのか?
確かに、酷い目に逢うのが理由と言っているが、バードの見た限り開拓使が行った政策は融和政策と見えた様だ。
長が不在の時に、バード一行は頼まれて医者代わりをした為に、感謝の意味で神殿に連れて行ってもらった。これが「義経神社」なのは有名な話。
で、バードは「長は、4~5人の外国人に毒されている」と苦々しく書いている。
これ…誰の事だ?
因みに、フォン・シーボルトとあるのは、かの「シーボルト」の息子。
あの辺には、バードの前に、ジョン・バチェラーが入っているのだが、バチェラーの事か?

と言う訳で、フォン・シーボルトが何者か解らなかったのでググったた所、面白いものが…
デジタル版の「函館市史」である。
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_02-01/shishi_02-01-02-00-01~03.htm

あれ?「アイノ先住民説」を唱えた方は、シーボルトではないですか…
そう、バードを平取へ連れて来たフォン・シーボルトは、その説を継承していたのは、割と知れた話。
対して、ジョン・ミルンは、「先住民が南→北へ、後にアイノが南→北へ」と提唱した模様。
この場合、ミルンが指摘した先住民とは、「勾玉や管玉を持った人々」を示し、考古学的には、それより「後発で南から北へ」入ったと指摘している。

正直、筆者は近世~近代アイノには興味ないが、これらが気になる方は、もう一度、各地方史書を読み直した方が良い。
と、言うか、ずーっと前から提唱してきた事だ。
ここまで並べたら、何故「悪いのは明治政府」と一部の方々が強く主張するのか?見えて来るであろうからだ。

何せ、端から資料は少ない…
元々地方史書とは、地元に関係ある所は片っ端から集める…
故に、他の市町村に関わる事も出てくる…
が、「横の繋がり」は滅茶苦茶薄い…
故に、それぞれ取り上げている事が微妙に違うのだ。
ぶっちゃけ例えれば、函館と室蘭と札幌と根室稚内では、書いてる事は違う。
利害関係が全く違うので、取り上げる視点が違うのだ。

まぁ上記だけ見ても、この時期に暗躍する外国人を、バードは少しだけ垣間見せてくれている。
彼らは何をアイノに吹き込んでいたのか?
外国人の目から見ても、その文化変遷に数種類の見方があることは解る。

さて、真実は…?



参考文献:
イザベラ・バード日本紀行(下)」 イザベラ・バード/時岡敬子 訳 2016年1月15日

函館市史デジタル版「外国人研究者と函館   P144」